韓国映画『はちどり』“14歳、女子”に起こり得る地獄のすべて

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

 1994年の日本でもっとも有名だった14歳の少女と言えば、セーラームーンこと月野うさぎである(異論は認めない)。彼女は当時の女児にとって憧れの存在であり、男に頼らない“強い女子”の象徴であり、世界の救世主であり、現在に至るも、30代女性がいまだに「自立と社会進出の象徴」と崇める心のロールモデルであり続けている。

 一方、94年の韓国が舞台の青春映画『はちどり』では、14歳の少女ウニが「社会的にもっとも弱い立場で苦しむ存在」の象徴に設定されている。

 オッサンが14歳少女の生態鑑賞に時間を割いて何の得になるのか? という男性諸氏は、こう考えてほしい。あなたの職場の女性、恋人や妻、SNSやネット上で癇に障る女性論客のお歴々は、当然ながら、ひとり残らず過去に“14歳”を経験している。すなわち14歳の少女を腑分けするのは、理論上すべての成人女性のオトメゴコロを理解する行為に等しいのだ。

 本作は大きく2つの側面を持つ物語である。

 ひとつは家父長制・男尊女卑に対する社会告発的側面だ。ウニは受験ストレスの兄から日常的に暴力を振るわれているが、両親は長男である兄に甘い。母はウニに今は我慢しろと言う。その母は夫の浮気を察知するが、別れる選択はできない。ウニの親友ジスクも酷い家庭内DVを受けている。

 もうひとつが、「14歳の女の子に起こりうる地獄、全部載せ」側面だ。ウニはメンターたる女性教師のヨンジから「たくさんの顔見知りのなかで、心がわかるのはどれくらい?」という意味の漢文を教わる。それが象徴するように、親友だったはずのジスクはウニを裏切り、謝罪復縁した後も「ウニは自分勝手」とダメ出ししてくる。両親は、ウニの手術を経て一旦は優しくなるが、嫡男贔屓は変わらない。ボーイフレンドも好いてきた同性の後輩も、つい昨日まで愛を囁いてきたと思ったら、翌日にはさしたる理由もなく去ってゆく。人の心は不定形で不確か。永遠も永続もない。

 2つの側面とは、「世界は因果応報ではない」という残酷な真実の両面だ。何も悪いことをしていないのに、「女に生まれた」というだけで男と同じ機会、同じ権利は与えられない。いくら相手に愛を尽くしても、愛は返ってこない。

 この無力感に苛まれるのは、ウニだけでも、韓国だけでも、1994年だけでもないだろう。多くの女性が、なぜ夢想家の男性にため息をついて冷徹なリアリストを決め込むのか。なぜ楽天家の男性に苛立ち悲観主義に染まるのか。たった14歳で「努力と結果は無関係」だと知ったからだ。

 彼女たちは「喉元過ぎれば熱さを忘れ」たりはしない。ウニは物語冒頭から「首のしこり」に違和感を抱き、それを手術によって除去するが、医者からは「傷痕は残る」と説明される。ウニはこの先何十年たとうとも、その傷痕を見れば、気圧や天気の変化で傷が疼けば、「あの時の違和感」が一瞬で戻るだろう。

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2024.11.21 UP DATE

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