――名実共に、その名を全国に轟かせるWILYWNKA。高きラップスキルと表現力で同性から厚き支持を得ながら、端整な顔立ちで異性からの黄色い声援も集める。しかし、決して整った環境下で育ったわけではない。南大阪で波瀾万丈の生活を送り、今や大阪を代表するフッドスターにまで成長した彼は、いかなる半生を送ってきたのか。
(写真/cherry chill will.)
新型コロナウイルスの影響で、やや人の少ないアメ村だったが、それでもWILYWNKAが歩けば、人だかりができる。
3月中旬、すでに東京では新型コロナウイルスの猛威と、それに伴う自粛ムードが広まりつつあった頃。道頓堀の中心地から徒歩で数分の距離にあり、東京における原宿のような立ち位置である通称「アメ村」のストリートは、平常時のような混雑ではなかったものの、多くの若者たちでにぎわっていた。
「最近、昼間にこのあたりに来ることが少なくなって」と話しながらHIDADDY(韻踏合組合)とアメ村を闊歩するWILYWNKA。商業地域のため、路面のテナントに変化はあるが、アメ村の雰囲気自体は、彼が同地にたむろするようになった約10年前とそう変わらない。違う点といえば、10年前はいち中学生であり、アメ村のストリートで目撃したアーティストたちを憧れの眼差しで見つめていた彼が、今は本誌の撮影中に中高生たちのグループに囲まれて写真を撮られる立場になったことだろう。街角を曲がるたび、次から次へとファンたちに声をかけられても彼は嫌な顔ひとつせず、クールに対応していた。現在23歳であり、まだ瑞々しさも感じさせる顔立ちのWILYWNKAだが、その人気ぶりと彼の振る舞いを見れば、彼が大阪シーンの次代を担う“フッド・スター”であり、街もそれを受け入れていることがよく伝わってくる。
アメ村の最寄駅である心斎橋駅から電車で20~30分ほどの位置にある南大阪界隈で生まれ育ったWILYWNKAは、小学校高学年の時期にはストリート・カルチャーに興味を持ち始め、中学1年生の頃にスケボーにハマり、そこからグラフィティ・アートにも関心を持ち、大阪を代表するラップ・クルーとして長年同地を牽引してきた韻踏合組合のファンになることで、ラップ/ヒップホップに没頭していく。
「先輩のオカンがダンス・スクールをやってて、そこに連れて行かれたときに僕が韻踏の『ZUBU ZUBU』をかけたら、『え、韻踏やん!』って先生に言われて。その先生から、アメ村に『一二三屋』があることを教えてもらったんです」
アメ村に店舗を構える一二三屋は、HIDADDYが経営するCDやアパレルなどを扱うショップであり、大阪のB・ボーイやラッパー、ラッパー志望の若者たちが集う、大阪ヒップホップ名所のひとつだ。もしWILYWNKAが一二三屋に辿り着かなければ、彼がラッパーを志すことはなかったかもしれない。それぐらい、一二三屋は彼のキャリアを語る上で重要な場所だ。