【神保哲生×宮台真司×新藤宗幸】安倍政権下で無法地帯化する官僚機構への提言

――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

『官僚制と公文書: 改竄、捏造、忖度の背景』(筑摩書房)

[今月のゲスト]
新藤宗幸[千葉大学名誉教授]

新型コロナ被害の拡大について、政府が打つさまざまな施策に不安を覚える人も多いだろう。その理由のひとつに、科学的なデータに裏付けられたものなのか否か、今ひとつわからないことが挙げられる。さらに森友学園問題では自ら命を絶った赤木俊夫さんの遺書が公開され、安倍政権の答弁に沿って決裁文書が書き換えられたことも明らかになったが……。

神保 世の中は新型コロナウイルスの話題一色ですが、今回は、それを考えるベース上でも重要な意味を持つ霞が関の問題を取り上げたいと思います(編注:番組は3月21日配信)。ゲストは千葉大学名誉教授の新藤宗幸先生です。宮台さん、新藤先生が上梓された本のラインナップを見てください。『官僚制と公文書』『政治主導』(いずれもちくま新書)、『教育委員会』『原子力規制委員会』(いずれも岩波新書)――。本で指摘されていた問題が、すべて出版後に火を吹いているんです。『技術官僚』(岩波新書)という本も書かれていますが、今回のコロナ問題で、医療系の官僚がいろいろと問題になっています。まるで予言者のようです。

宮台 和泉洋人総理補佐官のコネクティング・ルームを使った不倫出張疑惑も話題になっていますが、集団感染が生じたダイヤモンド・プリンセス号で、グリーンゾーンとレッドゾーンをきちんと分けなかったのもひどかった。入り口だけ分けて、奥は一緒だったという。本当に笑い話です。

神保 新型コロナウイルスへの対応では、首相のリーダーシップも重要ですが、同時に、いわゆる官邸主導の下で骨抜きにされた霞が関の官僚機構が、果たしてこの危機に適切に対応する力を持っているのかどうかも問われています。

 また、コロナの話題に押されていますが、森友学園問題で資料の改ざんを強いられ、自殺された財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さんの奥様が、当時の理財局長だった佐川宣寿氏と国を提訴したことや、安倍政権の守護神ともいうべき黒川弘務・東京高検検事長の定年延長問題や「桜を見る会」の件も含めて、霞が関には問題が山積しています。まずはこうした霞が関全体の現状について、新藤先生の認識をお話しいただけますか。

新藤 特に第二次安倍政権になり、2013年頃から安倍首相の反知性的な部分が表に出てきました。旧来ならば、自民党内に対抗する勢力がそれなりにあったはずですが、これが消えてしまった。小選挙区制と政党助成法が党中央の権力を高め、ますます政党が弱体化し、腐敗してきたということだと思います。また、14年に設置された内閣人事局により、政権が600人を超える部長級以上の人事権を握った。だから官僚が安倍の言いなりになるんだ、というふうに一般的に言われていますが、私は内閣人事局を潰しても、この問題は解決しないと考えています。つまり、今般の黒川問題にしても、森友学園問題にしても、日本の官僚制の歴史的な欠陥が表に出てきたのであって、赤木さんが自殺された問題についても、キャリアが汚れ仕事をノンキャリアに押し付け、一部が出世していくという、戦前から延々と続いてきた身分制に近い構造が表に出てきた結果だろうと。

神保 始めに、お恥ずかしながら私も今回先生の本で勉強させていただいて、実は日本の官僚制には法的な根拠が欠落していることを初めて知りました。日本には「国家行政組織法」はありますが、その下に本来なくてはならない「行政作用法」に当たるものが存在しない。そのため、官僚がどういう権限を持ち、誰が責任を取らなければならないかが、規定されていないに等しいと、新藤先生は指摘されています。

新藤 簡単に説明すると、「行政組織法」というのは、行政組織の設置と、それぞれの単位でどういう仕事をするか、所掌事務をまとめたものです。そして「行政作用法」は、公権力を行使する根拠となる法律であり、民主政治のもとでは、どういう場合にどのように公権力を行使するかを規定します。これは戦前、天皇主権時代には必要なかったもので、日本はそのまま来てしまっているため、齟齬だらけになっている。例えば、自衛隊の中東派遣は防衛省設置法第4条「所掌事務」の調査・研究として行われていますが、行政を執行する根拠法となる行政作用法がないため、完全に違法です。日本では法治行政原理が非常に形式的で、その中身が議論されていないと、つくづく感じます。

宮台 マックス・ヴェーバーの主張によれば、行政官僚制は手続き合理性に従います。それは予測可能性を高めるためで、つまり行政官僚制はマシーンであり、その中で働いている人たちの燃料は、人事と予算の最適化なのだと。だから、ヴェーバーの考えだと、行政官僚制は放っておくと暴走する。そこにタガをはめるのが政治家であり、適切な法律を作った上で行政官僚を指導しなければあらぬ方向に向かってしまうということです。そうした行政の諸作用に関わる根拠法がないというのは、とてつもなくおかしいですね。政治家が「何々をしろ」と言うことに根拠がないなんて、そんなバカなことがあるのかと。

神保 これでは、行政の暴走に歯止めをかけることができません。今回、新型コロナ特措法(改正新型インフルエンザ等対策特別措置法)が成立しましたが、これは緊急事態になった場合に、国民の主権を大幅に制限できるものです。もちろん、本当に緊急事態になったときに、国民が好き勝手に動いてしまっては問題が生じるでしょうから、ある程度主権を制限する必要があるのはわかるのですが、それが行き過ぎて暴走するリスクも当然、考えておく必要がある。ところが同法には歯止めとして「必要最小限度」という文言しかなく、何が必要最小限かを決めるのは政府自身だと安倍首相自身が国会で答弁しています。これでは歯止めがないも同然です。反権力的な意味ではなく、単純に法律家として見たときに、この議論についてはいかがでしょうか?

新藤 緊急事態というものを前提にして平時以上の規制を社会に加える場合には、まず「何が緊急事態なのか」という定義が法律の中にきちんとあり、憲法41条(国会の地位・立法権)を持ち出すまでもなく、国権の最高機関の事前承認が必要だという常識をきちんと踏まえたものでなければいけない。あくまでコロナの問題だとは言っていますが、自民党は憲法草案の中で、緊急事態条項を入れている。その予行練習するつもりか、と言いたくなります。

宮台 憲法は普通の国では、表現の自由から始まりますが、日本では天皇の条項から始まります。これが非常に奇妙なもので、天皇制が「制度」ではないことがわかる。例えば、天皇陛下にはほとんど人権が認められていない。陛下がそれを受け入れ、実際にそういうふうに振る舞ってくださるから、天皇制が制度であるかのように回っているだけで、「私は継がない」「退位する」と言われれば大事になります。このように日本では、法律や制度があって回っているように思いがちだが、たまたまそういうルーティンが繰り返されているだけだということが非常に多い。そこで突然、「制度でないのだから私は従わない」と言われれば、みなあぜんとするだけで何も言えないんです。そういう状況が今、日本では非常に広範に起こっています。コロナについても、中国でも、イタリアでもアメリカでも、さまざまなところで道路や都市の封鎖をしていますが、これは制度に基づいたもの。日本でもそのための制度を作ろうとしているようですが、国権の最高機関として定めている国会の事前承認を必要としないものという時点で憲法と齟齬があり、法的な制度にはなりません。

神保 今回もコロナ特措法を作ったのは国会ですが、「何が緊急事態に当たるかは、政府が決めてもらっていいですよ」という法律を、国会が自ら作ってしまった。一応、国会への事前の報告義務が既定されていますが、緊急の場合は事後でいいとなっています。しかもその条文は付帯決議に書かれているだけなので、実は何の法的拘束力もありません。つまり、国会の承認を必要としていないばかりか、国会に報告さえしなくても罰せられることはないわけです。

宮台 事前承認が必要ではない緊急事態法とは、一体どういうことなのか。憲法に「場合によっては事前承認なく、内閣が国権を掌握できる」と書いてあるなら別ですが、そんなことは書いていません。またこれは自民党だけの問題ではなく、インフルエンザ特措法のときに、事実上、似たようなスキームを民主党が作ってしまっているため、今、立憲民主党も国民民主党も賛成せざるを得ない、という状況になっています。

森友学園問題の背景にあるキャリア/ノンキャリアの身分制度

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