【神保哲生×宮台真司×松岡亮二】「身の丈発言」がミスリードする教育格差の真の問題

――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

『教育格差』(ちくま新書)

[今月のゲスト]
松岡亮二[早稲田大学留学センター准教授]

――萩生田光一文部科学相が20年度から始まる大学入学共通テストの英語の民間試験について「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」と発言したことが話題となった。そもそも日本は人種的にも同一性が高い上、目に見える身分制度もなく、義務教育も徹底されているため、教育機会の均等は確保できていると思っている人が多いだろう――。

神保 今回は萩生田光一文部科学相の「身の丈発言」と、その向こうにある日本の教育制度が抱える「本当の問題」について議論したいと思います。あの発言は教育格差を容認するものと受け取られ批判されたわけですが、実は日本における教育格差は今に始まったものではなく、ずっと昔からありました。その格差が長年放置され、今、さらにそれが広がろうとしていることが、この問題の本質ではないのかというのが、今回の論点です。それを前提に考えると、実は身の丈発言というのは、二重に罪が重かったりすることも指摘しておく必要があるでしょう。

「身の丈」と言えば当時、秋篠宮殿下が大嘗祭について、宗教色が強い儀式なので、政府予算で大々的にやるのではなく内廷費の範囲内で「身の丈に合った儀式」にすべきという発言をして一部で話題になりましたが、同じ身の丈でもずいぶん意味が違いますね。

宮台 皇室の内側の行事の意義を再生産するためには、やはり内廷費で賄わなければいけないということです。これは簡単にいうと、安倍内閣が全体として「公」という概念を理解していないところからきており、つまりその意味で、萩生田発言にもつながります。

 学問の世界では1950年代に、貧困の再生産、あるいは階級の再生産という議論がありました。ところが80年代以降、ピエール・ブルデューというフランスの社会学者が「階級的再生産のベースに文化的再生産がある」と議論をしています。それをカバーするような措置はさまざまにあり、教育もそうですが、日本には奨学金を完全に給付したり、新しい技能を習得する訓練をするための所得保障をしたり、という取り組みがない。つまり階級的再生産の問題にまったく鈍感な国だったということが言えます。

神保 今回のゲストは早稲田大学留学センター准教授で教育社会学者の松岡亮二さんです。松岡さんが今年7月に上梓された『教育格差』(ちくま新書)はデータが豊富で、説得力のある衝撃的な内容でした。

 そもそも萩生田発言は、10月24日放送のBSフジ『LIVEプライムニュース』で、2020年から大学入試共通テストで英語の民間試験が活用されることについて、試験が有料なので何度でも試験を受けられるお金持ちの家庭の子どものほうが有利になったり、近くに試験会場がある都市部の子どものほうが有利になるなど、経済的、地理的条件によって格差が出て不公平なのではないか、という議論の中で出てきたものです。「それを言ったら、あいつ予備校通っててずるいよな、というのと同じだと思う。裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできる、みたいなことがもしかしたらあるのかもしれないけど、そこは自分の身の丈に合わせて2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」というのが萩生田大臣の発言でした。

宮台 萩生田というのは本当のトンマだということが、2つの点でわかります。まず、「予備校に通っていてずるい」というのと同じだから問題なんじゃないか、というそもそも論がある。そして、今回は予備校が入試を請け負うのとまったく同じで、ベネッセなどはその枠組みに沿って参考書を書いたり、教育をしたりするということもわかっている。本当に塾業界の一部はクズ中のクズですが、それをこの発言によって擁護している。

神保 松岡さんは、この発言をどう受け止めていますか?

松岡 おそらく、多くの方が普通に思われていることをただ口にしてしまったという感じで、あまり驚きませんでした。「教育格差はかなり広くあるかもしれないが、乗り越えられる程度だよね」という認識があるのだろうと。ただ、職務として機会の平等を実現しなければならない人がそれを言ったらおしまいだろう、ということで炎上したのだと思います。

宮台 経済状況や生まれた場所という、自分で選べない条件による制限を甘んじて受けろ、ということを言っているのだから、本当に最低の文科大臣です。

神保 「頑張ればなんとかなる」というニュアンスですが、松岡さんは本の中で、そうだとしても、それも間違いだと指摘されています。

松岡 まず、「頑張る」以前に、そもそも大学に行こうと思うところまでいかない人たちがいます。受験までに何重にも見えない障壁があるのに、それらを乗り越えた人に金銭的に援助すれば解決する程度、というのが日本の教育格差に対する一般的な認識なのだろうと思います。

神保 日本の教育格差にはもっと根深い問題があり、その現実を踏まえなければ、手当てのしようもないと。でも、日本は身分制や階級制もないし、基本的には人種間の格差もない。比較的、社会の流動性が確保されていると思われています。ところが松岡さんは、実はさにあらず、ということをデータでがっちりと示されているわけですが、このイメージのギャップはどこからきているのでしょうか?

松岡 大多数の人種が単一である、というのが大きいと思います。私はアメリカに10年いたのですが、肌の色と「生まれ」が極めて高く関連しているので、例えば高校で勉強ができる子たちの特進クラスは、白人と東アジア系ばかり。つまり、出身階層という初期条件(「生まれ」)で間接的に選別されていることが可視化されている。だから社会問題にしやすいという理解です。それが日本の場合には、偏差値70の高校でも、偏差値40の教育困難校でも、大半の生徒の見た目は基本的に日本人なので、高校受験の結果は個人の能力や選択によるものだと見なされてしまいます。

幼児教育と地域間から見る教育格差の実態とは?

今すぐ会員登録はこちらから

人気記事ランキング

2024.11.21 UP DATE

無料記事

もっと読む