――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉
1945年と1964年。徹底的に東京の状況を再現しようとするドラマ風ドキュメンタリーはNHKの良心と限界を感じるが、好企画だ。
普通に考えれば当然なのだが、この期に及んで、国際オリンピック委員会が猛暑を理由に東京五輪のマラソンと競歩を札幌開催に変更すると言い出した。森喜朗と組んで五輪を招致した慎太郎にしてみれば、子分の鈴木直道が夕張市長経由で北海道知事になったので、手柄を立てさせてやるか、ということなのだろうが、案の定、小池百合子が「熱中症で散華する学徒動員ボランティアの英霊たちを靖国へ祀る準備もしたのに」とは言っていないがブチ切れて、一時は泥仕合の様相を呈していた。学徒動員ならまだしも選手が死んだら洒落にならないだろうが。どちらかがキレて五輪返上となれば最高だったが、そんな覚悟があるはずもなく。仮に小池がガチギレでちゃぶ台をひっくり返しても、スキャンダルを仕掛けてまた都知事選になるだけだ。次は鈴木大地か乙武洋匡か。東京都民が言ってはいかんのだろうが、誰がなっても何も変わらない不毛なガチャだ。
それにしても『いだてん』は逆風に次ぐ逆風である。阿部サダヲが当て逃げの相手からSNS上で告発され、徳井義実は桁外れの申告漏れで大松博文監督を演じたシーンが急遽再編集されるという、ピエール瀧以上の大惨事になっている。いっそのこと、サブタイトルの元ネタになった映画『おれについてこい!』からハナ肇の映像を抜いて代わりに入れたらどうか? と思ったが、そんな時間すらなかったようで。もっとも、逆風になればなるほど判官贔屓の拗ね者が集まるもので、筆者もそのひとりだが、10月13日、台風一過のSNSはなんとも苦笑いであった。怒涛のようなラグビー日本代表への応援に『いだてん』の話題がちらほら紛れてくるのだが、よりによって、古今亭志ん生伝を書きたかった宮藤官九郎の本音が剥き出しになった回で、田畑も金栗も出てこない志ん生と圓生の満州放浪話とラグビー中継の視聴率差は3・7%対39・2%。『スクール・ウォーズ』なら滝沢先生に全員殴られているだろう。まあ、続けて『新・映像の世紀』のスタッフが『いだてん』以上にド直球な1964年東京五輪批判をやらかした『東京ブラックホールⅡ』を放送したあたり、NHKの編成も腹を括ったのだろうが、結局のところ、サブカルチャーの領域が敗北し、再び国家主義へ転換していく記念すべき日であった。テレビドラマがどれだけスポーツの政治利用の罪悪を訴えたところで、臣民たちがラグビー日本代表戦の勝利に熱狂することは止められやしない。いや、国家主義という字面は大袈裟か。往年のファシズムや全体主義とは似て非なるというか、衰退していく国の現実を直視せず、思考しないための仕掛けを丁寧に用意した精神的福祉国家というところか。その大仕掛けな装置がラグビー日本代表戦や東京五輪だが、大仕掛けであるがゆえに拾えない層もあるし、東京五輪は見ての通り失敗している。