1作のギャラは数万円~500万円超まで大幅な開きあり――AV女優の“ハダカの値段”は時代とともにどう変わったか

――大反響を呼んでいるドラマ『全裸監督』。村西とおるを描く物語では、一世を風靡した女優・黒木香も描かれたが、彼女の主演作はたったの3本。彼女以外も、往年の人気AV女優は数十本の作品に出演し、引退するのが普通で、出演作1000本超えの女優もいる今とは大違いだ――。

多くのファンを生んだ『全裸監督』。

 カメラの前で性行為を演じることで報酬を得るAV女優の仕事。出演、販売、公開後までさまざまなリスクと困難がつきまとう仕事ゆえ、報酬も高額なイメージがあるだろう。実際のところはどうだったのだろうか。

「84~85年のAVのギャラは、当時のアルバイトと比べれば好条件でした。最初の頃は2~3日の撮影で10万円程度で、それが20万円、30万円と徐々に上っていきました。出演者捜しに苦労していたので、ギャラも必然的に高額になったのでしょう」

 そう話すのはNetflixでドラマ化された『全裸監督』の原作者で、村西とおるの下でAV産業にも深く関わってきた作家の本橋信宏氏。なお、ここでいう「AV女優のギャラ」は、メーカーがAV女優のプロダクション(所属事務所)に支払う金額を指したものだ。

「AVメーカー→プロダクションというお金の流れは、70年代のピンク映画やエロ本と、裸モデルの派遣事務所の関係性を受け継いだものです。なお70年代の裸モデルのギャラは、カラミなしで2万円前後。今の物価で考えると5~6万円程度です。その相場がカラミのある裏本で上がり、AVでさらに上昇していきました」(本橋氏)

 では、そのギャラのうち、女優が手にできる金額はどの程度だったのか? 業界の当時を知る関係者は「おそらく事務所7:女優3くらいのケースが多かったのではないか」と話す。

「その割合は女優側には伝えられていませんでしたし、もっと露骨に搾取している事務所もあったと思います。『女優側の取り分が少ないのでは?』と思う人はいたでしょうが、当時はAV=社会の必要悪というイメージが今以上に強く、改善を訴える声もありませんでした。また、女優側も取っ払いで多額の現金を手にできる仕事だったため、あまり文句を言わなかったのでしょう」(業界関係者)

 そんな時代に女優のギャラの価格革命を行ったのが、村西とおるだった。

「村西とおるが社員監督を務めていたクリスタル映像は、AVメーカーとしては後発。先行する大手を追い抜くためには、ギャラをつり上げてでもルックスのいい女優を集める必要がありました。そこで彼は、それまで30万円程度だった女の子のギャラを、100万円以上にまで引き上げました。その価格革命後は、大手各社もギャラを上げていく形になりました。本番の鬼だった村西とおるは、AV女優にとってギャラアップを率先した人物でもあり、我が道を歩んで球界初の一億円プレイヤーになった落合博満のような存在でした」(本橋氏)

 バブル経済の流れにも乗り、一気に“アダルトビデオの帝王”にのし上がった村西の勢いは凄まじく、女優のギャラは青天井に。村西の立ち上げたダイヤモンド映像の専属女優(単体女優)として作品に出演していた卑弥呼のギャラは、1本600万円にもなった。

「彼が自社のAVに多くの美女を出演させられたのは、巧みに相手を口説く応酬話法のテクニックを持っていただけでなく、説得の材料としてお金も積んだから。出演交渉では最初に100万円の札束を出し、2~3時間話しても納得しなければ、さらに100万円を積む。まるで子ども銀行券の感覚でお金を使っているようにも見えました。そもそも女優のギャラを100万円にしたのも、『銀行の帯封が付いた束のまま渡せる』というのが理由のひとつでしたから」(本橋氏)

 そして女優に対しては、出演料以外の部分でも、気前よくお金を使っていた。

「ダイヤモンド映像の専属女優の沙羅樹と松坂季実子がサイン会をしたときは、その日のギャラを1人30万円ずつ渡していました。またクリスタル映像の制作ルームの下にあったブティックでは、専属女優に一晩で5000万円分の服を買い与えたことも。店主はあまりの大金に気が引けたのか、自分から村西に『おまけしますよ?』と値切ることを勧めていましたね」(本橋氏)

120万円のギャラから100万円を抜く事務所

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