『愛がなんだ』と考えて……恋愛カースト最下層女性の絶望的な「恋」の解体

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

 今年4月に公開され、10代後半から30代女性を中心に満席・立ち見が相次ぎ、低予算映画としては異例のロングランヒットとなった『愛がなんだ』が、10月25日にDVD化される。

 巷の感想で目立つのが、主人公で28歳のOL・山田テルコ(岸井ゆきの)に寄せられた圧倒的な共感だ。ヒットを報じる記事には、「テルちゃんの気持ち 凄くわかる」「身に覚えのあるシーンばかりでグサグサ」といった感想がピックアップ。筆者周囲の30代文化系女子からも「あるあるすぎて胸が苦しい」「あれは私、かつての私……」「酒が飲みたすぎる」等、悲痛な報告が相次いだ。

 本作の内容を一言でいえば、「イタい女のイタい恋愛の話」だ。テルコは「中の下」くらいの器量の女(という体で、岸井ゆきのが演じている)。バリバリ仕事をしているわけでも、目立った長所や人より秀でた特技があるわけでも、没頭できる趣味があるわけでも、ことさら友人が多いわけでもない。絵に描いたような、しがないOLだ。

 そんな彼女が、結婚式の二次会で出版社の社員デザイナー・マモル(成田凌)と出会い、なんとなく付き合ってなんとなくセックスして、彼女になったつもりで浮かれるが、マモルは甲斐甲斐しく彼女ヅラしてくるテルコが鬱陶しくなり、でもテルコは一方的にマモルを好きで……という話だ。

 何がイタいって、テルコには“自分”がない。それは器量や知性の話ではなく、「マモルを好きである自分」以外に、アイデンティティがないという意味。“からっぽ”なのだ。

 テルコの人生は、マモルへのコミットが最優先だ。体調を崩したマモルからの電話に「まだ会社」と嘘をつき、しっぽを振ってマモルの部屋に向かう。食材をたんまり買い込み、ウキウキで料理をして、ゴミの片づけから風呂掃除まで行うが、結果マモルにうざがられ、深夜の街に放り出される。

 尽くす女の悲哀。人権無視の仕打ち。だが、テルコはマモルを嫌いにならない。むしろマモルに嫌われないように、その後も手を尽くし、気を遣う。

 テルコはマモルと動物園に行き、「33歳でゾウの飼育員になりたい」などと妄言をほざくマモルの隣で泣く。理由は「33歳以降のマモちゃんの未来に私も含まれてるんだと思うと」。テルコには人生に主体性がない。自分の人生を自分で決定する気がない。つまり、自分がない。だからテルコは言う。「私はマモちゃんになりたい」。病理だ。

 しかし、テルコの一連の行動については、こういう意見もあるだろう。愛する人への一途な想いが言動に出ただけ、何がいけないのだ、と。

 いやいや、テルコは女友達から「昔と好みが違う」と指摘されている。テルコは断じて、長い人生の旅路でようやく運命の相手であるマモルに出会った……のではない。テルコが欲しかったのは、「狂ったように誰かに惹かれている状態の自分」だ。執着それ自体が自己目的化されている。

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