きっかけは隠し撮りを防ぐため!――トップレスを撮るために大集合!? 素人撮影会の元祖は海女だった

――グラビアアイドルやコスプレイヤーを撮影するアマチュア・カメラマンを対象とした有料の撮影会が、毎週末都市部のどこかで開催され、人気を集めている。こうした撮影会は昔から行われてきたが、その潮流をさかのぼっていくと実は70年ほど前の「海女の撮影会」にたどり着く!?

千葉県御宿町の海女たちを撮影した岩瀬禎之氏の写真集。

 近年、芸能事務所などが主催する、アマチュア・カメラマン向けの水着撮影会が盛況だ。また、グラビアアイドルに限らずコスプレイヤーや撮影会モデルなど、テレビや雑誌に出ていなくとも黒山の人だかりができるモデルは、星の数ほどいる。グラビア誌の編集者はこう解説する。

「グラビア雑誌に出演してもギャラは安いため、事務所としてはスタジオ代だけで、金を稼ぐことができる撮影会は取り分がいいんです。今一番勢いのある事務所といわれている、ゼロイチファミリアに所属する川崎あやの出演が発表されると、予約がすぐに埋まるといわれています。その場でチェキ撮影やDVDなどの販売もできるので、そちらの収益も大きいのではないでしょうか。また、毎年としまえんで開催される歴史のある『ビジュアルクイーン撮影会』は、チケット代が1部のみ約1万円、3部通し約3万円と高額でも、かなりの集客があります」

 このようなアマチュア・カメラマンによる“撮影会文化”は、何も今に始まったことではなく、それなりに長い歴史を持ち、終戦から間もない1948年の時点で記録が残っている。それも、なんとヌード撮影会である。「裸体芸術写真撮影競技会」と銘打って東京の旧渋沢邸で開催されたこのイベントには、400~500人ものアマチュア・カメラマンが殺到し、結果的に警察の介入を招いて主催者とモデルが摘発されている。

 その後も、芸術という名目でヌード撮影会は行われてきたようだが、70~80年代のアイドルブーム期に“カメラ小僧”と呼ばれる人種が出現してから、その動きはだんだんと加速していく。そしてバブル期になると、世相を反映してか今では考えられないようなぶっ飛んだ撮影会も行われてきた。

 まずひとつは、89年にJR九州・筑前新宮駅の駅長(当時)が企画した「お座敷列車『BUNBUN号』ミニヌード撮影ツアー」。畳を敷いたお座敷列車にダブルベッドを運び込み、鉄道の旅を楽しみながらヌード撮影会を行うという、なんとも情報量の多い企画だ。今ならSNSで大炎上しそうな撮影会だが、当時は参加者の反応だけではなく、JR九州内部の評判も上々だったという。国鉄から民営化したばかりのドサクサがなしえた業ともいえよう。

 続いては、飯島愛の登場によって徐々に市民権を獲得しはじめていたAV女優の撮影会。1万~1万8000円と、高額な入場料にもかかわらず、開催されるたびに1000人単位のアマチュア・カメラマンが殺到したという。特に92年に飯島が参加した撮影会はヌードではなくTバック撮影会だったにすぎなかったが、会場は相当な混雑ぶりだったとか。

 また、撮影者の数でなく、被写体の数でも度肝を抜くのは、86年に群馬・伊香保温泉が町を挙げて企画した「女の祭典」だろう。なにしろ、地元の芸者衆500人を動員した一大ヌード撮影会である。芸者の中には「私たちはヌードモデルではない」と下着を3枚も着込んだ者もいたそうだが、町のために文字通りひと肌脱ぐきっぷの良さは、現代ではなかなかまねできない。

雑誌も後押しした海女という被写体

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