萱野稔人と巡る【超・人間学】――「人間は“教育”によって生かされている」(後編)

(前編はこちら)

――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。

(写真/永峰拓也)

今月のゲスト
安藤寿康[慶應義塾大学文学部教授]

前号に引き続き、行動遺伝学、進化教育学、教育心理学、生物学的視点から教育についての研究を行う安藤寿康氏を招いて“人間と教育”を語り合う。遺伝によって条件づけされた人間にとって教育とは?

教育への存在論的アプローチ

安藤 前回お話ししたように、学校という教育制度には多くの疑問を持ってはいるのですが、同時に非常によくできた制度だということもつくづく感じています。

萱野 教育は知識と規律で人の行動を方向づけようとする側面を否応なく持ってはいますが、同時に人間の生存に役立つものでなければ、そもそも制度として維持されることはできませんからね。

安藤 一方的な搾取ではあり得ないし、やはり多くの人が学校教育に恩恵を受けていることは、間違いないですね。

萱野 安藤先生は前回、教育と国家に共通性を感じるとおっしゃっていましたが、国家についても同じことが当てはまると思います。国家は強制力によって人々を抑圧しますが、同時に人々が暴力に自力で対処しなくてもよくなるという大きな恩恵も与えます。そこに、人間の生存にとっての大きな合理性があるから、国家は多くの批判にさらされながらも、あるいは国家を廃絶しようとする力学にのみ込まれても、すぐに復活し、存続し続けてきたのです。その点、抑圧や搾取の面だけをみて教育や国家を「悪」とみなす発想はきわめて稚拙ですね。

 こうした稚拙さから抜け出るには、どうしたらいいか。やはり「良い・悪い」という議論をいったんカッコに入れて、どのようにそれが成り立っているのかということを、ものごとの本質から考えていくことが必要です。哲学の言葉でいえば、当為論(べき論)から存在論へ、ということです。安藤先生は、教育というものがなぜ存在し成立しているのかを人間の本質から考えていくという点で、まさに存在論を教育学の分野で展開されているのだと思います。

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