台湾と内地観光団(上)

拓殖博覧会で展示された「生蕃」の家族を写した絵葉書。(1912年/著者蔵)

 新元号になったからといって昭和の記憶が突然遠のくわけではないし、都合の悪い過去がリセットされるわけでもない。連日マスメディアで報じられている「2000年以上の歴史をもつ天皇制」という時代錯誤の言説は、戦中の皇紀2600年の奉祝ムードを連想させて、辟易するばかりだが、こうした自画自賛的な「日本スゴイ」論が蔓延し始めてすでに久しい。以下の事件も、そんな日本人のナルシシズムにかかわるものだろう。

 いささか旧聞に属するが、2017年4月に台湾南部の烏山頭ダムのほとりにある八田與一の銅像の首が切り落とされた事件があった。この像は烏山頭ダムの築造をはじめとする嘉南平野の大規模な灌漑工事を手がけた八田の功績をたたえるためにダムを見下ろす場所に設置されていたもので、ここでは毎年5月8日の命日に地元の「嘉南水利会」によって慰霊祭が行われていた。ダムの工期は日本の植民地統治時代の1920年から30年。農業と発電のための利水と雨季の洪水を防ぐ治水の機能を備えた、当時「東洋一のダム」であった。その後、台湾人の犯人が逮捕され、すぐに像も修復されたものの、親日のイメージのあった台湾での事件だけに驚きをもって迎えられた。というよりも、31年に住民や部下らの意見で設置され、戦後も守られてきたこの像は、自画自賛的なナルシシズムに酔う日本人にとって親日台湾を象徴するような像ではなかったろうか。ここで事件の詳細を記す紙幅はないが、台湾人と一口にいっても、45年以降に中国大陸から移り住んだ外省人と、それ以前から定住していた漢民族系内省人、山岳系の原住民などから構成されており、台湾を植民地化した日本に対する彼らの複雑な心的地図や戦後の反国民党意識を看過して簡単に親日だということはできないはずだ。八田が人格者であったとか、像の設置を固辞したとかいう美談はさておき、台湾総督府の土木技師だった彼が貢献したのは、なによりもまず日本の植民地経営に対してであって、決して現地住民の生活のためにダムを築造したわけではなかった。この「斬首事件」は、台湾は親日だというステレオタイプや戦中の日本を美化するような言説を穿つだけでなく、かつての「生蕃」を連想させた。

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2024.11.24 UP DATE

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