「ファック」はOKなのに、なぜその言葉はダメなのか?――令和時代の日本語ラップ表現

――炎上からの発禁や回収を恐れてか、メジャー/インディ問わず、歌詞における自主規制問題が氾濫する昨今。本稿では、過激な内容が飛び交う日本語ラップのリリックに焦点を定め、平成の炎上から令和の流行までをレコード会社のA&Rを招き徹底討論――。すると、旧態依然とした業界の悪しき慣習も浮き彫りとなった。

ANARCHYの登場以降、レペゼン地方ヒップホップの都市名ではなく、「向島団地」などの特定の場所にもスポットが当てられるように。(本誌16年8月号より。写真/cherry chill will)

[座談会参加者]
A…芸能事務所音楽部門勤務
B…インディレコード会社勤務
C…メジャーレコード会社勤務
D…音楽出版社勤務

――令和を迎えたこともあり、幾度もムーブメントを起こした平成時代の日本語ラップにおけるスタイルやリリックの流行り廃りを振り返ってみたいと思います。

A 90年代の日本語ラップは「これぞヒップホップ」という定義をラップしていた印象がありますね。「これが俺たちのやり方」というスタイルで、ヒップホップの文化をエデュケーションする。

B 同感です。90年代~2000年初期はアメリカのヒップホップの影響が色濃く反映された時代で、ある種の啓蒙的側面があったと思います。

C そして、リリックは練りに練られた印象。例えばNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのような、見た目がいかつく、どう見ても一般的には怖い印象を与えるラッパーなのに、リリックはユーモアがあって面白い、というのが日本語ラップが盛り上がった醍醐味のひとつだったように感じます。

D 今でこそ柔和なイメージを持たれているRHYMESTERやZeebraも、当時はハードコアな風貌に見られていたわけで、“揺るぎないかっこよさ”を露呈し、ヒップホップという文化を築こうと鼓舞していたんですよね。その「ヒップホップはこうあるべき」といったエデュケーションスタイルが廃れたわけではないですけど、2010年を前後にリリックの内容にも変化が出てきましたよね。

A 05年以降、SEEDAやANARCHYのデビューでだいぶ変化が起きたんじゃないでしょうか。「生活保護」といった言葉がリリックに登場したり、不遇な環境から抜け出そうと自らを奮い起こす内容がラップされるようになりましたね。

D すべてのラッパーがそうじゃないので語弊があるかもしれませんが、90年代のラッパーのリリックは誇張された夢物語をラップしていた部分もあると思うんですね。高級車に乗りたい、女性をはべらせたい、イリーガルな人生を送っている――。

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