――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。
(写真/永峰拓也)
今月のゲスト
更科 功[分子古生物学者]
本号よりスタートした萱野稔人の対談企画。第1回ゲストは『絶滅の人類史』などのベストセラーで知られる分子古生物学者の更科功氏。“人類の進化”という観点から、人間の根源に迫る。
人類の定義
萱野 この対談連載では「人間とは何か」という問いについて、さまざまなゲストを招いて探求していこうと考えています。その第1回ゲストとして更科功先生に来ていただきました。更科先生の人類史における研究から、“人間の根源”といえるようなところを掘り起こしてお伺いしていきたいと思います。
更科 私の話に出てくる人類は700万年前からの話ですから、よく言えば“根源”といえるのかもしれませんが、どこまで現代の話につながるか、ちょっと心もとないですね(笑)。
萱野 更科先生は自身の研究を踏まえて「人間とは何か」と問われたら、どのようにお答えになりますか?
更科 まず、“人間”が指すものを明確にしたいと思います。それが“人類”というくくりであれば、約700万年前にチンパンジーと人類の共通祖先から系統が分かれた後、私たちホモ・サピエンスに至るまで進化してきた系統に属する生物のことになります。今のところ最古の人類として知られているのが、チンパンジーと人類が分岐した直後の種と考えられているサヘラントロプス・チャデンシスです。このほか、ネアンデルタール人などを含めて25種ぐらいの人類の化石が見つかっています。より狭義の“人間”ということであれば、その最後の種で現在まで唯一生き残っている人類の私たちホモ・サピエンスということなりますね。
萱野 今回は“人類”というくくりから、お話をお伺いしたいと思います。
更科 実は、人類の定義はとても明確なんですよ。それは「直立二足歩行をする」「犬歯が縮小していて牙がない」、この2つです。
萱野 とてもシンプルで、はっきりしていますね。では、まず直立二足歩行について聞きたいのですが、これは他の生物にはない、人類だけに見られる特徴ということでしょうか?
更科 二足歩行をする生物はいっぱいいます。身近なところではニワトリとか。古代生物でもティラノサウルスのように二足歩行する恐竜は数多くいました。しかし、不思議なことに、生命40億年の歴史の中で、人類以外に直立二足歩行はただの一回も進化しませんでした。逆にいえば、直立二足歩行というのは、生物にとってよっぽど特殊な形質だったということ。単純に考えれば、空を飛ぶほうが直立二足歩行よりはるかに難しそうに感じるし、実際に空を飛ぶための生物学的なメカニズムも複雑です。それでも、系統ごとに考えたら、空を飛ぶ能力は、昆虫、翼竜、鳥、コウモリと、4回も進化しています。それなのに、直立二足歩行は人類が誕生するまで一度も進化していないんです。
萱野 例えばサルなんかはひょっこり立ち上がって二本足で歩くことがありますが、あれは直立二足歩行ではない?
更科 あれは二足歩行ではあるけど、直立二足歩行ではありません。直立二足歩行は体幹をまっすぐ直立させて、立ち止まったときに頭が足の真上にきます。サルの場合はまっすぐ立っているように見えても、足より頭が前になり、尻が後ろになっているんですよ。歩いているときもサルの膝は前に出ませんが、直立二足歩行では膝は前に出ます。これはチンパンジーやゴリラといった霊長類も同じです。あとはペンギンなんかも直立二足歩行をしているように見えるかもしれませんが、あれも実は足は曲がっていてまっすぐになっていません。直立二足歩行をする生物は、過去も現在も人類以外は一種もいないんです。
萱野 その場合、骨の構造など解剖学的にも違いがあるんですか?
更科 例えば頭骨だけ見ても、人類の場合は大後頭孔という脊椎とつながっている大きな穴が真下に開いているという特徴があります。これも頭と体幹がまっすぐになる直立二足歩行をするからですね。犬や猫など四足歩行をする動物の場合は、この穴が頭骨の後ろに開いています。チンパンジーやゴリラは斜め下ぐらい。ですから、頭骨ひとつ見ても人類はすぐにわかります。
“人類”は森林から追い出された種
萱野 哲学とは一言でいえば「……とは何か」という問いに答える学問です。その学問の見地からみると、更科先生の提起する「人間とは何か」という定義があまりに明快で感動します。
更科 一般的に生物の分類というものは、系統で定義しているものがほとんどなんです。共通祖先から分岐した系統全体をひとつのグループとしてとらえるので、形態の上での定義ができないんですね。例えば、鳥をどう定義するかというと、「翼があって嘴が……」といった形からの定義はできません。実際にどう定義されているかというと、「ジュラ紀の始祖鳥より現生鳥類に近いものすべて」という系統分類になっているんですね。人類のように形態で明確に定義できる生物は、ほかにはいないのではないでしょうか。
萱野 人類は形態で定義ができる生物としても定義できるということですね。
更科 そうですね。例えば、類人猿も「尻尾がないサル」と定義することができますが、動物の中で尻尾がないのは人類と類人猿の2種があり、類人猿の中にはテナガザル、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、オランウータンといった複数の生物がいます。それに対して、「直立二足歩行をする」だけで人類は定義できますから。
萱野 なぜ人類では直立二足歩行が進化したのでしょうか?
更科 かつては、森林で樹上生活をしていたサルが木を降りて草原で生きるようになったことを原因とする説が主流でしたが、これは現在では否定されています。草原で二足歩行をすることが有利であれば、他の生物も同じような進化をしてもいいはずですが、まったくいない。ヒヒやパタスモンキーのように草原で生きるサルの仲間もいますが、もちろんいずれも四足歩行です。ちょっと視点を変えて「なぜ直立二足歩行は他の生物で進化をしなかったのか」と考えてみれば、それは直立二足歩行は進化に不利な大きな欠点があったからなんですね。人類はたまたまそれを上回るメリットを獲得することができたので、唯一、直立二足歩行を進化させることができた。
萱野 直立二足歩行は、どんな点で不利だったんですか?
更科 「走るのが遅い」ということです。今のところ人類でもっとも走るのが速いのはウサイン・ボルトですが、そのボルトでも四本足で走るカバと競争したら負けます。基本的に、四足歩行する動物は人類より速い。ヒトは猫にも負けます。ネズミだったらいい勝負かな。ちょっと余談ですが、私は四足歩行で走るのが結構速くて、小学校のときなんかは違う学校の子と競争して、いつも勝っていたんですよ。大学生になってからも飲み会の余興で普通に走る女性と四足歩行の私で競争したり。毎回勝ちましたね。
萱野 変わったことをしていたんですね(笑)。確かに人間は四足歩行の動物に、走る速さではかなわない。肉食動物に見つかったら、逃げられなくて食べられてしまう。だからこそ、他の生物では直立二足歩行は進化しなかった、と。
更科 私はそう考えています。ですから、肉食動物から逃げやすいように、人類と類人猿の共通祖先は森林に住んでいました。
萱野 そこからどのように人類は直立二足歩行を進化させたのでしょうか?
更科 基本的に森林は、動物にとってすごく住みやすい場所なんですよ。まず肉食動物が少ないし、遭遇したとしても木の上に逃げればいい。樹上は安全なねぐらにもなります。果実や葉っぱといった食べ物も豊富です。草原はその逆で、肉食動物は多いし、見つかってしまうと逃げ場もありません。安全なねぐらもないし、食べ物も少ない。この森林と草原の中間が、木がまばらに生えている疎林です。人類の進化は、この疎林で起こったと考えられています。
萱野 そもそもなぜ人類の祖先は、住みやすい森林から疎林へ移動をしたんですか?
更科 まず、森林の縮小という環境の変化があったのでしょう。そこで、恐らく力が弱かったものや木登りが下手だったものが森林から追い出されてしまい、疎林で生きざるを得ないようになったんです。その後、森林に残ったものはチンパンジーやゴリラに進化し、疎林に追いやられたものが人類へと進化していったと考えられます。
萱野 森林から追い出された“弱い種”が人類になっていったというのは面白いですね。ただ、疎林で生きるようになった人類の祖先は、そのまま走るのが速い四足歩行を進化させるわけにはいかなかったんでしょうか?
更科 それは人類のもうひとつの特徴である「犬歯の縮小」とも関連しています。直立二足歩行だけを考えると、走るのが遅くなるだけで、メリットは何もありません。ここで改めて森林と疎林の違いを見てみると、木が少ないから当然、樹上の食べ物が少ないということが大きなポイントになります。
萱野 つまり、疎林では食物を得るために地面に降りていかざるを得なくなった。
更科 そういうことです。化石の化学分析から食べていたものがある程度わかるのですが、中期の化石人類は、地面に自生しているものや落ちていたものを結構食べているんです。スゲのような草や硬い木の実なんかですね。基本的に硬くて栄養価が低い。森林から追い出されて、そんなものも食べるしかなくなったんですね。そして、量も少ないから広範囲にわたって食べ物を探す必要があり、その際に疎林だと樹上を移動することもできないので地面に降りて移動するしかなかったんです。ただ、それでも自分の食べ物を確保するだけなら、四足歩行のほうが便利です。
萱野 やはり走るのが速いほうが逃げるのにも有利ということですね。
更科 そうです。しかし、人類はそうやって肉食動物から逃げることよりも、自分の子を多く残すことができる行動を取るようになりました。それが「食べ物を自分の子に運ぶ」ということです。
人類に牙がなくなった理由
萱野 二足歩行をするようになったことで空いた“両手”で食べ物を運ぶということですか。子は安全な木の上にいて、親が食べ物を運んできて食べさせる。それが、走るのが遅くなるという欠点を上回る利点になったと。
更科 ここで「犬歯の縮小」が大きな意味を持ってくるんです。
萱野 つまり“牙”がなくなったということですね。それと二足歩行には、どんな関係があるんですか?
更科 チンパンジーは、コロブスという小さなサルを狩って食べることがあります。これはチンパンジーの凶暴性を示す例として紹介されることが多いのですが、実際のところはチンパンジーはほとんど肉を食べないんですね。チンパンジーは雑食とされていますが、肉食は1割にも満たないレベルで、ほぼ草食といっていい。これはゴリラも同じです。つまり、チンパンジーやゴリラの鋭くて立派な牙は、狩りのためのものではありません。これは同種のオス同士の争いに使われているものなんです。
萱野 チンパンジーは実はとても凶暴で、殺し合いのような争いをするというのはよく聞きます。
更科 オス・メスの個体数の比率を見れば、その激しさがわかると思います。通常であればオス・メス比はほぼ1対1になるはずですが、チンパンジーは7対10とか、極端な場合は5対10とか、オスのほうが圧倒的に少なくなっています。これはオス同士の殺し合いの結果なんです。ある研究ではチンパンジーのおよそ9割が、リンチに加わったり、手を下さずとも現場に居合わせたりするなど、なんらかの形で同種間の殺害に関わった経験があるという報告もあります。そのぐらい、オス同士の激しい争いが多いのですね。
萱野 チンパンジーでは群れのオスが集団で別の群れを襲撃してオスを皆殺しにするようなこともあるそうですね。
更科 環境の変化でテリトリー争いが起きて、数年かけて別の群れと戦うといったこともあるようです。
萱野 そうなると、ほとんど戦争ですね。
更科 ただ、チンパンジーのオス同士の争いの原因は、やはりメスをめぐるものが多くなっています。
萱野 つまり人類に牙がなくなったのは、オス同士のメスをめぐる争いが少なくなったことの結果だと推測されるわけですね。
更科 そうです。動物において最大の武器は牙なんです。ライオンやサメを恐ろしく思うのは、牙で噛まれることが怖いからです。小さな子どもが犬を怖がるのも同じですよね。牙がなければ怖くない。人類の縮小した犬歯は、そういった武器にはなりません。
萱野 人類は“道具”を武器として使うようになったから犬歯が小さくなったということは、考えられないでしょうか?
更科 私はそれはないと考えています。ただ、武器を仲間同士の争いに使用するようになったことが進化に寄与したという説は、ずっと人気があったんです。映画『2001年宇宙の旅』の冒頭でも、大きな骨を武器として使うようになった猿人が人類の祖先となったと解釈できる印象深いシーンがありますね。この説は、レイモンド・ダートという人類学者の研究から広がったものです。彼は約280~230万年前に生きていたとされるアウストラロピテクス・アフリカヌスの化石を研究していて、その頭骨に武器で殴られたような痕が見つかったことから、人類は進化の初期の段階で同種の争いに武器を使うようになったと主張したのです。これを発展させたのが動物行動学における業績でノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツです。例えば争っている犬は一方が腹部を見せれば攻撃をやめるようにお互いの争いを抑制するように進化してきたけれど、人類は短期間のうちに武器を発達させたから、そういった抑制を進化させることができず、戦争のような異常な殺戮を行うようになったと主張しました。
萱野 人類は“たが”が外れていると。
更科 実際には先ほども言ったようにチンパンジーをはじめ、同種間で激しく殺し合う動物はたくさんいます。そもそものきっかけになったダートの主張も現在では根拠のないものであったことが判明しています。アウストラロピテクスの化石の傷は、ヒョウに襲われたときの牙の痕や洞窟が崩れたときについたものであることが判明したんですね。
萱野 犬歯の縮小については、食べ物が変わったからという説もありますよね。硬いものをすり潰して食べるためには牙よりも平らな歯のほうがいい、という。
更科 食べ物の変化が原因であった場合、上下の牙は同時に小さくなっていくはずです。一方で牙を武器や威嚇に使うときは上の牙が重要ですから、オス同士の争いがゆるやかになったことが犬歯の縮小の原因である場合、上の牙から小さくなります。人類の場合は化石を見る限り、上から小さくなっています。他の類人猿の化石と比べると、サヘラントロプスの犬歯は格段に小さい。もちろん食べ物の変化も関係していたと思いますが、基本的にはオス同士の殺し合いが減ったことが原因だと考えられます。
萱野 そうすると、なぜオス同士の殺し合いが減っていったのかという問題になりますね。
更科 オス同士の争いが減っていったことと直立二足歩行の進化が同時に起きたことを説明することができる仮説がひとつだけあって、それが“一夫一婦制”です。
(次号に続く)
(構成/橋富政彦)
(写真/永峰拓也)
更科 功
1961年生まれ。東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学・立教大学兼任講師。東京大学大学院理学系研究博士課程修了。専門は分子古生物学。『化石の分子生物学――生命進化の謎を解く』(講談社現代新書)で第29回講談社科学出版賞を受賞。その他の著書に『絶滅の人類史――なぜ「私たち」が生き延びたのか』(NHK出版新書)、『進化論はいかに進化したか』(新潮選書)など。
萱野稔人
1970年生まれ。哲学者。津田塾大学教授。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。主な著書に『国家とは何か』(以文社)、『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書)、『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』(小社刊行)など。