エポックだった「薔薇族」に、新たなスタイルを模索した「MLMW」――「バディ」休刊で消滅の危機!!“エロ”から見るゲイ雑誌興亡史

――今年1月に「バディ」が休刊したことで、日本における商業ゲイ雑誌は残すところ1誌となった。1971年の「薔薇族」創刊以降、約50年続いてきた日本の商業ゲイ雑誌だが、そのかたわらには常にエロがあったと言っても過言ではない。エロという観点から、今や存亡の危機にあるゲイ雑誌の歴史をたどっていこう。

「薔薇族」創刊号と、警察からの呼び出しを受ける原因となった写真。右側の男性の陰毛が写りこんでいることが理由だったという。

 今年1月、とある雑誌の休刊が一部で話題となった。その雑誌の名は「バディ」(テラ出版)。25年続いた商業ゲイ雑誌であり、同誌の休刊により、日本の商業ゲイ雑誌として刊行されているのは、中年~壮年、あるいは太った男性を中心的に扱う「サムソン」(海鳴館)、1誌のみ。まさに、ゲイ雑誌は風前の灯火と言っても過言ではないだろう。現在、小誌では日本初の商業ゲイ雑誌「薔薇族」(第二書房)の創刊編集長・伊藤文學氏によるゲイ雑誌の草創期を追った「薔薇族回顧譚」が連載中だが、本稿では改めてゲイ雑誌とエロの関係、その歴史と変遷について見ていこう。

 戦後日本のゲイ雑誌の歴史を紐解いていくと、まずカストリ雑誌「奇譚クラブ」(曙書房ほか)や「風俗奇譚」(文献資料刊行会)といった性風俗誌が、アブノーマルな性癖のひとつとして同性愛を取り上げていた。また、1952年にはゲイ向け会員制同人誌「ADONIS」が創刊(同誌を刊行していたアドニス会は、三島由紀夫らが所属していたことでも知られる)。続く50~60年代には、「同好」や「薔薇」といった会員制同人誌も発刊された。これらはあくまでも身内に向けたクローズドな雑誌であり、ゲイ雑誌として広く流通するものではなかった。その流れを変えたのが、71年に創刊された「薔薇族」だ。創刊編集長である伊藤氏は異性愛者だったが、60年代から自社で刊行していた“性”をテーマにした書籍「ナイト・ブックス」シリーズが好評だったことを受け、男性同性愛者向け商業雑誌の創刊を着想。ゲイである間宮浩氏と藤田竜氏らをスタッフに迎えると同時に、大手取次のトーハンと直談判し、商業雑誌として全国で取り扱う際に必要となる雑誌コードを取得した。こうして、日本初となる商業ゲイ雑誌「薔薇族」が誕生。創刊当時の同誌は、男性の裸体グラビアに加え、読者から投稿された体験談や小説、イラスト、そして文通欄などで構成されていた。

 そもそもゲイ雑誌はセクシャリティを中心的なテーマに据えている以上、必然的にエロティックな描写が含まれる作品も数多く掲載されていたのだが、当時は性表現に対する公権力からの風当たりも強かった。伊藤氏によれば、第2号に掲載したグラビア写真の中で男性の陰毛が写ってしまっていた(左写真参照)ことから警察に呼び出され、始末書を書かされたと言う。

「75年と77年には、わいせつ図画販売目的所持の被疑ということで、警視庁防犯部保安一課の摘発を受けたこともあった。それ以外でも、始末書は何十回と書かされたし、罰金も100万以上払っているよ。グラビア写真が指摘を受けることもあったけど、それよりも文章での露骨なエロ表現に対する指摘が多かったかな。当時、警視庁では風紀係が各雑誌をチェックしていて、性描写を長々と書いていたりすると、警察に呼ばれて始末書を書かされるようになっていたんだ」(伊藤氏)

 実際に、当時の「薔薇族」などに目を通してみると、確かにエロティックな描写がなされた小説なども散見されるが、グラビア写真などは男性器をおおっぴらには見せておらず、むしろ男性の筋肉美や後ろ姿を魅せる構成が中心。現代の“エロ”の感覚からすると、さほど問題があるとは思えないような表現がほとんどだ。一方で、70年代には日活ロマンポルノの成人映画がわいせつ図画公然陳列罪で起訴される“日活ロマンポルノ事件”が起こり、エロ劇画ブームが巻き起こる中で「漫画エロジェニカ」(海潮社)や「別冊ユートピア・唇の誘惑」(笠倉出版)がわいせつ図画頒布罪で摘発されるなど、男性同性愛にかかわらずエロ全般の表現と警察とのせめぎ合いが続く時代でもあった。

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