――お酒に慣れ親しんでいる者なら、「○○美人」と刻印された日本酒のラベルを、一度は目にしたことがあるはずだ。なぜ、日本酒に「美人」が命名されたのか? その歴史や変遷をたどってみると、意外な事実から単純明快なものまで――。そんな日本酒と美人の不思議でおいしい関係を吟味する。
『ゼロから分かる! 図解日本酒入門』(世界文化社)
平成28酒造年度現在、国内の清酒の醸造所は「1212場」存在する。もっとも古いところでは約800年を超える歴史を持つことから、これは自信をもって「日本が誇るべき伝統産業」といってよいだろう。そんな長き日本酒の歴史において、例えば「南部美人」や「東洋美人」など、“美人”と命名された銘柄を飲まれたことがある読者諸氏も多いのではないだろうか。では、その“○○美人”と名付けられた銘柄たちはいつ誕生し、いかにして愛飲家たちから慣れ親しまれてきたのか――。
まずは、日本酒がたどってきた歴史について触れておきたい。起源は700年代奈良朝時代、「播磨風土記」の中に「神様にお供えしたご飯にカビが生えてきたから、それで酒を造って、神様に献上し宴を行った」という記録があり、麹から造られたものが最古の日本酒とされている。時代は流れて江戸時代、海上運輸に適しているということで、樽廻船問屋が集中した兵庫県・灘周辺が酒づくりの中心拠点となった。かつてお酒は地産地消が当たり前だったため、“銘柄”という概念は存在せず、他藩へ流通するようになってから、ようやく商標(酒銘)が付けられたとみられている。例えば、500年以上もの歴史を持つ灘の日本酒「剣菱」の商標は、上には男を象る「剣」、下に女を意味する「菱形」が並び、不動明王の剣を表している。このロゴを見た江戸っ子たちが「剣菱」と呼ぶようになったことが、翻って銘柄になった。しかし、同銘柄を模造したり、別の酒蔵が同じ商標を使用することがあったため、1884年、政府は商標条例を制定。以降、同銘柄が重複することは解消されている。
ちなみにアルコール類は、「男性の飲みもの」というイメージが明治~昭和初期まであった。現在では女性の社会進出に伴い、その印象は打ち消されているが、そもそもの歴史をさかのぼると、平安時代に「無礼講」という概念が存在し、公家と使用人、老若男女関係なく酒を酌み交わしていたとか。そんな女性とお酒の交わりについて、「日本の化粧水」シリーズをはじめ、女性たちからの信頼を得て次々とヒットを飛ばしている菊正宗酒造事業開発部・化粧品事業課の阿曽利彦氏が、次のようなエピソードを語ってくれた。
「化粧品という概念がなかった時代に、芸子さんや仲居さんたちは、お座敷で余った日本酒を水で薄めて塗りこみ、お肌の保湿をしていたそうです。米麹由来のアミノ酸が角質層のうるおいを守ってくれることが今では科学的に解明されていますが、彼女たちはその時代から体感によってわかっていたのでしょうね」
おおらかに飲まれていただけでなく、今よりもっと身近な存在としてスキンケアにも使われていた日本酒。「日本酒と美」という概念は、すでに銘柄以前に関係を築いていた一幕ともいえよう。
さて、話を「美人酒」に戻そう。日本酒にまつわる歴史や文化を紹介する展覧会「酒と人の文化史」を開催する兵庫県立歴史博物館の史料に掲載される「古来銘酒丹醸商標集(伊丹中心200銘柄以上)」「摂州酒樽銘鑑(伊丹/北摂200銘柄以上)」「新撰銘酒寿語禄(伊丹/灘等80銘柄)」「酒印名(西宮/今津等80銘柄)」など(すべて江戸時代)、日本屈指の酒蔵である兵庫の文献を見ても「丹頂」「白雪」「福司」「龍神」など、自然や中国故事から取ったものばかりで、“美人”の文字は見当たらない。すると美人酒は近年になってからの銘柄なのだろうか? しかし、全国津々浦々の酒蔵への取材を進めていく中で、第一次~三次美人酒ブームがあったことがわかってきた。