「文學界」炎上対談を見て考える――幽霊、サイコパスに救われたい人々。

――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

炎上祭りは結局、中高年の左派リベラル層だけがうれしそうに盛り上がり、ポリコレ的な倫理性の窮屈さを証明しただけだった。

 筆者の世代はポスト団塊ジュニアの哀れな氷河期世代と蔑まれているが、とある炎上案件から、下の世代はサイコパスの世代だったのだと思い至った。厳密に言えば、00年代以降の新自由主義に適応し、旧来の倫理性を持たないサイコパスしか頭角を現すことができなかったので、サイコパスに憧れるしかなかった世代なのだが、筆者の世代や上の世代の多くはそういう連中を嫌悪している。堀江貴文のように新自由主義に適応した変異種以外は。また、サイコパスの世代でも憧れることなく、上の世代へ同調することで古い利権の継承を狙う者もいる。さまざまな思惑が渦巻いては衝突している世界で正気を保つのは難しい。常に何らかの踏み絵を突きつけられているからだ。

 炎上案件とは「文學界」2019年1月号に掲載された落合陽一と古市憲寿の対談のことだ。終末期医療と延命治療の区別もなく、効率的な進歩主義から優生学を称揚してしまう新自由主義者の短絡的な失言は何度も見てきたが、ネットでの炎上とは裏腹に、意識高い系の学生や若いサラリーマンたちは、わりと支持しているように見える。というか、自己啓発に勤しむ若い世代の本音をうまいこと代弁していたからこそ、上の世代の反感を買い、炎上したのだろう。もちろん、落合&古市に反駁する若い世代もいるにはいるが、彼らの主張は守旧派の価値観……炎上を主導していた左派リベラルのコピーキャットで目新しさがなく、戦後の論壇を支配してきた老人たちに媚び、利権を継承することで権力を手に入れようとする荻上チキや津田大介と同じ匂いを感じる。実際、荻上はこの件で落合&古市に噛み付いていたが、旧来の権威から承認されることでしか成り上がれない左派リベラルの商売に対し、若くサイコパスな新自由主義者たちは倫理性が欠落している分、もっと功利的だ。批評家が既存の論壇利権に頼らず生計を立てるには、批評と関係ない起業で稼ぐか、オンラインサロンで自己啓発本を売らなければならないからだ。本当は批評家の主張が面白いからこそ、その面白さを疑わなければならないのだが、サロン商売は信者の頭数がそのまま発言力となるので、読者は盲信か敵対の二択を強いられる。

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2024.11.21 UP DATE

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