――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
2018年8月、マンガ家・さくらももこが53歳で逝去した。彼女の代表作『ちびまる子ちゃん』が小中学生女子向けマンガ誌「りぼん」で始まったのは、1986年のことである。
ここからは想像タイムだ。1986年当時、とある地方のとある公立小学校に通っていた、小学六年生の女子を思い浮かべてほしい。容姿は中の中か、中の下。地味で目立たない子。クラスでは、「かわいい枠」にも「運動できる枠」にも「おもしろい枠」にも「勉強できる枠」にも入らない。
少女には、12歳なりにボンヤリした将来設計があった。校区内の公立中学に行き、まあまあの公立高校に進学して、無難な短大か、がんばって地元の四大に入れたら御の字。実家から通える会社で3つ年上の彼と2年付き合って25歳くらいで結婚して、専業主婦になって、子供は3年ほど離して2人作る(自分の母のように)。おそらくこのクラスの女子の8割が、そんな未来を歩むのだろう。ベビーブーマーの団塊ジュニア。同級生はアホほどたくさんいる。女子はクラスに20人、学年に100人以上。そのなかで「目立つ子」は相当な実力者だ。少女は自分がそのポジションには無縁の“その他大勢”であるという自覚のもと、謙虚に、細々と、悪目立ちしないように生きていた。
「私には、なんの特殊な能力もないんだから」
しかし少女は出会ってしまう。友達の家に遊びに行った時に読ませてもらった「りぼん」に、それは連載されていた。『ちびまる子ちゃん』だ。
少女は衝撃を受けた。自分より10歳ほど年上の作者が、彼女の小学生時代をキレキレのボキャブラリーで振り返っている。通う小学校の珍奇な習慣を変だと断言し、バカなクラスメートをバカだと言い切り、不快な大人への嫌悪感を隠さない。
「そんなこと、はっきり言っちゃっていいんだ!」
少女が毎日の学校生活にうっすら抱いていた理不尽や違和感。ちょっと嫌だなあと思っていた友達からの同調圧力。それらはすべて、明確な言葉で糾弾してもいいらしい。
子供は純真ではない。失敗したクラスメートを心の底から嘲笑するし、洪水や火事といった災害にはつい小躍りしてしまう。年寄りは必ずしも畏敬の対象ではなく、煩わしく、時に口うるさい存在だが、猫をかぶればいかようにも金品をせしめられる。そんなこと、子供なら皆わかっていたが、ここまでつまびらかに描かれているのを、少女は初めて目の当たりにした。うれしかった。
少女は、『ちびまる子ちゃん』に描かれている圧倒的な「ほんとう」が特に気に入っていた。ブサイクやブスはモテないし、好かれない。心がきれいだからといって、容姿のビハインドは絶対に埋められない。バカは誰からも蔑まれ、秀才は天才に勝てない。ちょっとやそっとの努力でクラス内での地位は上がらない。