トンデモ忍者像を生み出したのは007!?――全大陸に忍び込んだ! 世界各国の忍者映画

――アフリカに限らず、忍者を題材にした映画は世界中で数えきれないほど制作されている。だが、その中には日本人として思わず「違うだろ!」とツッコミたくなる、ぶっ飛んだ忍者像も少なくない。ここでは、海外で独自の進化を遂げた「NINJA」たちを紹介していく。

世界中で作られている忍者映画。題名は『Indian Ninja』なのに製作国はフランスという謎の現象も。

 初めて忍者が登場した海外映画は、あの「007シリーズ」の5作目で、日本を舞台にした『007は二度死ぬ』(1967年)といわれている。しかし、劇中に登場した忍者は「公安直属の特殊部隊」として、マシンガンや手榴弾、日本刀で武装し、敵の基地に正面から殴り込みをかけるなど、従来の忍者のイメージから大きくかけ離れていた。ただ、この描写こそが海外における「NINJA」のひな形になったのだ。

 時は流れ80年代。ショー・コスギらの活躍によりハリウッドで忍者ブームが起こった。前記事「極悪非道な忍者にはカンフーで立ち向かう!――サバンナや森で襲いかかる!? 奇想天外・アフリカの忍者映画」でも触れたが、この時代に作られたおびただしい数の忍者映画での、忍者というイメージは、概ね「暗くて反社会的」「殺し屋・超級格闘家」「主人公の多くが欧米人」という具合で、そういうキャラクターが忍者装束を着て、刀と手裏剣さえ持っていれば「NINJA」になれたのだ。ブームがアメリカから世界中へ波及したことで、海外におけるNINJAのイメージはこの方向で固まり、伝言ゲームのように変化していった。

 例えばハリウッドの『アメリカン忍者』(85年)という作品は、前述したイメージをすべて併せ持つお手本のような「NINJA映画」だが、その後、この作品にならって『Russian Ninja』(89年/スウェーデン)、『El Ninja Mexicano』(91年/メキシコ)、『Indian Ninja』(93年/フランス)などの「ご当地忍者」が次々と作られ、21世紀に入っても『Tongan Ninja』(2002年/ニュージーランド)などが確認されている。

 日本と文化圏が近いアジアでは、80年代の香港でゴッドフリー・ホーという監督が活躍した。彼は忍者を題材にしたB級作品を50本以上も手がけており、そのほとんどは『忍者ターミネーター』(85年)や『フルメタル忍者』(89年)など、既存のヒット作に無理やり忍者をくっつけたものが多い。彼の作品に登場する忍者は、赤やピンクなど派手な色の装束を身にまとい、アルファベットでninjaと書かれたバンダナを巻き、タコ踊りのような動きで印を結ぶ。もちろん、中の人はほとんど欧米人だ。ビジュアルだけなら東映の特撮ヒーロー『世界忍者戦ジライヤ』(88年)に近いものがある。

 史実を重視する人にとって、このような形で忍者がグローバル化するのは喜ばしくないかもしれないが、現地の人々にとってはこれこそが正しい「忍者像」なのだ。いずれは日本古来の忍者も、数ある「NINJA」のひとつとして取り込まれていくかもしれない。

(文/ゼロ次郎)

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