――最強のグラビア特集の企画で「遺影」!? 不謹慎だと思うなかれ、遺影は故人の最善の姿を写し出した最高のグラビアでもある。果たして、遺影はどのような成長を遂げてきたのだろうか? 歴史的背景から発展、遺影と密接な関係にある葬儀やエンディング産業との関係も、じっくり分析。
(絵/沖 真秀)
人々が写真を身近なものとして利用し始めてから、100年余り。人生のさまざまな節目を記録する役割はもちろん、使い捨てカメラやデジカメ、携帯電話の普及によって、より生活と密接な関係を築いている。中でも人生の最後をかたどる“遺影”は、故人を偲ぶ写真として必要な不可欠な存在だ。たとえどのような宗派に属していたとしても、ほとんどの家庭の仏壇が置かれた部屋には、遺影が飾られているといっても過言ではないだろう。
日本人には「自然のものにはすべて神が宿っている」という「八百万の神」の精神が脈々と受け継がれていることもあってか、故人のありのままの姿を写し出した遺影にも、その想いが投影されているように感じるものだ。祖父母が住む田舎の旧家で、先祖代々の遺影が鴨居にずらりと並んでいたりする光景を目にしたことがある読者も多いことだろう。しかし、そうした写真のほとんどが“モノクロで無表情”ということもあり、薄気味悪さを覚える人も少なくない。しかし、写真技術の発展や意識の変化と共に、“カラーで笑顔”の遺影が圧倒的に増えた。若くしてこの世に別れを告げた者の中には、“プリクラが遺影”となっているケースもあるほど。また、終末期や死後を生前から考えておく“終活”ブームの影響から、「生きているうちに、最高の遺影写真を撮影しておきましょう!」と促すサービスも増加し、故人が動く“デジタル遺影”まで登場する昨今。
本稿では、今特集の趣旨に則り、人生最後の最高の写真=遺影を、「ある種のグラビア」といった視点で考察し、その歴史と発展、ルールやタブーなどの実情に迫りたい。
そもそも遺影の文化はいつから始まり、どのような発展を遂げてきたのだろうか? 葬儀の変容と死生観を研究する、国立歴史民俗博物館の准教授・山田慎也氏に話を聞いた。