カルト化するコンテンツとオウムの類比――幽霊、草食系十字軍と不能者の憎悪。

――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

発表当時は過剰なエロ描写に首を捻ったが、結局、日本的なサイバーパンクとサブカルチャーの現在を正しく予見していた。

 今回の特集テーマは「タブー」ということで、担当氏から「(前回の続きで)バーチャルYouTuberかオウム真理教の2択でどうでしょう」と提案されたが、両者はコインの裏表のように思える。VTuberがサリンを作ることはないだろうが、その文化的背景にあるのは、強い中毒性を持つジャンクな妄想だからだ。そして、初期のオウムがジャンクさ故にスピリチュアルブームの「ネタ」として無邪気に面白がられていたことは、どうも忘れがちだ。

 現実の女性や身体性から乖離する男性向けポルノグラフィの最先端は、男の手で男の都合に最適化された二次元美少女を量産しているソフトコアポルノの領域なのだが、存在しない理想世界を仮構するため、彼らは屁理屈めいたイデオロギーを熱弁する。いつかの上祐史浩のように。先日も『百合が俺を人間にしてくれた』なる早川書房の新刊宣伝インタビューを読んで辟易していたのだが、美少女イラストを3D風に動かすLive2Dや、女性声優の声質に変換するボイスチェンジャーなどの技術で作り上げた美少女アバターで男性が仮面劇を演じているVTuberは、偏屈なイデオロギーをテクノロジーの進化が適度に補うことで、不審さや違和感を笑って相対化する余裕が生まれ、ようやくマニア以外でも愉しめる余地が出てきた。『攻殻機動隊』の原作マンガでバトーが電脳空間で交際している女の中身が、95歳の男性だったという寓話があったが、ポルノグラフィも宗教もカルト化しないためには、演じる側にも批評的な滑稽さが必要だ。それでなくとも、マニア向けのサブカルチャーは価値の転倒で成り立っており、性的逃避も一般社会では否定されるからこそ、受難の論理で絶対的正義と信じ込んでしまう。後ろめたさからジャンクな現実逃避の手段に救い=聖性を求め、正当性を主張し、カルト化していくのだ。

 オウムは現代社会へのアンチテーゼを謳っていたから、早々に反社会的勢力と化したが、オタク文化はコンテンツの大量消費=資本主義と紐づけられていることが抑止力になっている。しかし、信仰のようにコンテンツへ依存し、実存まで仮託しているダウナー系中毒者も多い。筆者はよく宮崎事件の集団トラウマという言葉で評しているが、むしろ、あの事件はサブカルチャー中毒者に受難の論理を与えることで、カルト的な傾向を可視化してしまったのかもしれない。

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2024.11.21 UP DATE

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