人知を超えた文芸の極北――タブーなき想像力が創り上げる“ヤバイSF小説”の耽美な世界

――NetflixでSFドラマ『ロスト・イン・スペース』、Huluでも『マイノリティ・リポート』などの作品が人気を博すなど、盛り上がりを見せるSF。だが、映像のSFとSF小説は似て非なるものだとの見解も多々あるという。そんなSF小説において、“プロの読み手”3人が選りすぐった、タブー破りの作品には、尋常ならざる世界が広がっていた!

現在の日本社会では、いたるところに監視カメラが設置され、我々の一挙一動が記録され続けている。

「一九八四年」といっても、ロサンゼルス五輪が開かれ、エリマキトカゲがブームになったこちらの1984年ではない。ジョージ・オーウェルが1948年に執筆した「一九八四年」の世界では、「ビッグ・ブラザー」という指導者が率いる政党がオセアニアという国を支配している。国民たちを監視するのは、あらゆる部屋に設置されたテレスクリーンという装置。監視カメラやフェイスブックの情報網で、あらゆる私生活が筒抜けになった現在の世界を予見していたと、再評価された作品としても広く知られている。「SFマガジン」元編集長の今岡清氏はこう解説する。

『一九八四年』【1】は古典ですが、現代を風刺した小説として、今のほうが面白く読めるのでは。特に主人公が在籍する『真理省』という役所が歴史を自由に書き換えるところなどが、情報操作力を持つメディアが最大の権力者だという状況を予言していたように思えてなりません」

 第二次大戦直後に書かれたSFが、2018年の現在も未来予測として信憑性を持つ。それ自体がSFの懐の深さを感じさせるが、そもそもSFとは何なのか? 本題に入る前に、まずはSFについて規定しておく必要があるかもしれない。

「私はSF編集者を卒業して30年以上たっていますが、普遍的なSFの定義とは、現存する科学技術をベースに、論理的にあり得ると思わせる世界を作ったものだと考えています。たとえば、タイムトラベルは物理学上、実現不可能だと否定されていますが、論理的な説明に基づいて話が組み立てられていれば、SFとして成立するんですね」(同)

 今岡氏の説明は、SFファンの間でもおおむね共通に認識されているものだ。一方で、「SFの定義なんてものはない」と言い放つのは、作家、評論家で、SFの第一人者である鏡明氏だ。

「『これがSFだ』と定義をし始めると、『これはSFじゃない』と、区別が始まる。科学知識に基づいているのがSFだ、なんて言ったら、冒頭のシーンで宇宙空間なのに音がしている『スター・ウォーズ』もSFではなくなってしまいます。私は、SFとは何でも載せられる自由なプラットフォームだと考えています」

「タブー破り」のSFというお題に関しても、同じく「SFマガジン」元編集長の阿部毅氏は、「そもそも、文学の異端として始まったのがSFですから、すべてのSFがタブーを破っているといえる」と言う一方、鏡明氏は、「SFはセックスや暴力に関しては結構保守的だから、むしろタブーを破っていないのでは?」という論も。ともかく、筋金入りのSF読みである三者に「ヤバいSF」を選んでもらった。初心者からファンまで楽しめる、SFブックレビューを見ていこう。

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