――アメリカにはニッキー・ミナージュやカーディ・Bといったフィメール・ラッパーのスターがいるが、日本でその新たな像を模索するのがELLE TERESAだ。女子の表現者として、何と戦っているのか――。
(写真/草野庸子)
「ピンクは私を裏切らない」と1990年代の渋谷に倒れこんだのは、岡崎京子が描いたユミだ。「クレープは私を裏切らないもん」と2000年代の原宿で叫んだのは、『木更津キャッツアイ』のモー子だ。2010年代にはELLE TERESAが「シャネルは私を裏切らないの」と歌う。いつだって女の子たちは翻弄されないように自分を確かめるものを探している。概念からスイーツへ、それからハイブランドへ。高度資本主義は女の子の護符を、より具体的に、さらに既存の価値観に重なる形へと変えた。ELLEが「シャネルのウォレット」を連呼する「CHANEL」という曲にはヒップホップらしいチープで即物的な響きがある。けれど次第に「COCO CHANEL」が「此処シャネル」に聴こえ、「四次元ポケット」と対になって揺れる。今いるところを踏みしめる女の子と、願うところへ飛び出す女の子と。実のところ、彼女は正統的な女の子の表現者である。現在20歳。
「ヒップホップは男文化だから、女の子が入ろうとすると嫌がられる。昔は入れてほしいなって思ってたけど、今はむしろこっちが上だって思ってる。別に男を見下してるわけじゃなくて、ELLEが一番カッコいいから」
あっけらかんとして物おじしない。彼女はどのように育ったのか。
「地元の沼津でお母さんがダンススタジオをやってて、子どもの頃から親と一緒にクラブに行ってた。両親ともダンサーだから、私も自然とダンサーになった。スタジオだから礼儀はちゃんとしてたけど、周りに大人がいっぱいいたし、だから偉い人に会ってもビビるとかはないかも。中学はあんまり行ってなくて、高校は途中で辞めたけど、ダンスの友達としゃべってるほうが楽しかったな」
ダンスの傍ら、渋谷109前でスカウトされ、「Popteen」(角川春樹事務所)の読者モデルをしていたという中学時代。クラブで出会った同郷のラッパー兼プロデューサーのYuskey Carterは彼女を即座に見初めた。