――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
前号では、『映画ドラえもん のび太の宝島』の主題歌に起用された星野源が“ハイスペックのび太系男子”かつ、みんなにやさしい究極の“バリアフリー男子”であり、星野が国民的人気を博す現代日本に、いかに「自己評価低めの女子」が多いかを述べた。今月も引き続き星野源好き女子を考察する。
ちなみに『のび太の宝島』は原稿執筆時点で興収50億円を突破。すでに歴代「映画ドラ」史上最高の興収を更新しているが、ここに「主題歌:星野源」が大きく貢献したのは間違いない。
『ドラえもん』の原作者である藤子・F・不二雄が自らの作風を形容した「SF(すこし・ふしぎ)」という造語がある。ありふれた日常生活の中に非日常的なセンス・オブ・ワンダーを見出すというものだ。町内やご近所に、猫型ロボットや超能力者やオバケや宇宙人が当たり前のように住まい、三度の飯を食い、ご近所に馴染むという奇妙な可笑しみ。これは星野源がファーストエッセイ『そして生活はつづく』で掲げたテーマにして、おそらくは星野の人生訓でもある「つまらない毎日の生活をおもしろがること」そのものだ。星野源の理想郷は、藤子・F・不二雄的SF生活ギャグの中にある、と言っても過言ではない。
少年時代にパニック障害や不安神経症を経験し、コミュ障で人見知りの気があり、「普通に生活するのが苦手」を自認する星野にとって、なんでもない日常を機嫌良く、おもしろがってすごせるなら、それ以上の幸せはない。特に2012年、くも膜下出血で倒れてから奇跡の復帰を遂げて以降の星野は、日々の平穏無事な生活について、「ただありがたく、ひたすら愛しい」という気分を強めているように見える。近年のヒット曲の歌詞にもそれは顕著だ。
意味なんかないさ/暮らしがあるだけ/ただ腹を空かせて/君の元へ帰るんだ(「恋」年)
目が覚めて涎を拭いたら/窓辺に光が微笑んでた/空の青 踊る緑の葉/畳んだタオルの痕(「Family Song」年)
闇を乗り越えた者だけがまとえる、嫌味のない圧倒的な自己肯定感と、絶対的なすこやかさ。ライブ映像を見ても、ステージでウキウキと跳ねる星野からは、「楽しくて楽しくてしょうがない、ここにこうして生きているだけで幸せでーす感」がダダ漏れている。自己評価が低く、退屈な日常を倦み、日常に「すこし・ふしぎ」など見出す余裕のない女子たちは、そんな星野の多幸感に吸い寄せられる。生きづらい人間でも、ここまで多幸感に包まれることができる。生活をおもしろがれる。『ドラえもん』風に言うなら「のび太のくせにしずかちゃんと結婚できる」。星野源は自己評価低め女子にとって希望の灯火なのだ。