――世界的な#MeTooムーブメントにより、これまで無頓着だった日本の写真界にもその波が押し寄せてきている。一部では、水着グラビアも“性の商品化”だとして、議論を持たぬまま自主規制に走るメディアも。このまま水着グラビアはアートの文脈から完全に切り離され、姿を消してしまうのか?
水着グラビアで“発見され”、女優として大ブレイクを果たした吉岡里帆。一部のファンから反感を買ってしまったが……。
「世界のメディアの流れがそうあるように、うちの媒体では水着グラビアを一切載せない方針をとっているんです」
あるインターネットサイトの編集者は、水着グラビアに対してのこのような方針を口にする。
「#MeToo」運動を始めとして、ジェンダーや性に関する問題が噴出している昨今。「性差別」、特に「女性差別」を表す「セクシズム」という言葉を耳にする機会も増えてきた。「セクハラ問題」はこの流れの一端であり、その根底には、女性に対して男性が向ける「エロ」の視線が、これまでの基準では成立しなくなった“時代の変化”が見えてくる。上記の言葉は、そんな時代の移り変わりを象徴する極端な例といえるだろう。
F1では、今年から、レース前にドライバーの名前やスポンサー名を書いたボードを掲げる「グリッドガール」を廃止。その理由は、「大会のブランド価値や現代の社会規範にそぐわない」というものだった。また、ミス近畿大学を受賞した伊東紗冶子(現セント・フォース)が水着グラビアで「週刊プレイボーイ」(集英社)の表紙を飾ったことを広報した近畿大学公式SNSアカウントに対して、「ジェンダー的に後進的」という非難の声が上がったり、池袋マルイでは、開催予定だった「ふともも写真の世界展」がクレームを受けて中止となった。
では、雑誌ではどうだろうか?
以前から、「性の商品化」という声が根強かった雑誌グラビアにもその流れは波及している。コンビニ大手のミニストップでは、今年から成人雑誌の取り扱いを中止。また、関係者の同意が得られずに頓挫したが、千葉市では、市内コンビニで成人雑誌の表紙にカバーをかけるという施策を発表して物議を醸したことは記憶に新しい。今後、この傾向に拍車がかかるのであれば、雑誌に掲載されている水着グラビアもまた、規制の対象となる可能性がゼロではない。特に、国外においては水着に対しても非難の目が強く、1951年に設立された「ミス・ワールド」では「水着に意義があるとは思えない」として、「ミス・ティーンUSA」では「屈辱的なイメージの低減」を理由に、それぞれ水着審査を廃止してしまったのだ。
果たして、今、水着グラビアに対してどのような倫理基準が必要なのだろうか? そして、水着グラビアは、本当に「性の商品化」と非難されるべきものなのだろうか?
成人指定取り締まりで過激な「着エロ」が誕生