【黒瀬陽平】法に触れた芸術家の沈黙は表現の萎縮につながる【論点3/アート】

――エロティックな女性ヌードなどで知られ、世界的な評価も高い写真家・荒木経惟。長年、彼のモデルを務めてきたKaoRiさんによる告発が、「#MeToo」のひとつとして世間をざわつかせた。ただ、この騒動をめぐる議論は錯綜している。そこで、本当に語るべき論点を整理し、問題の本質に迫りたい。

黒瀬陽平(美術家・美術批評家)

くろせ・ようへい 1983年、高知生まれ。アーティスト・グループのカオス*ラウンジ代表。ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校主任講師も務める。著書に『情報社会の情念―クリエイティブの条件を問う』(NHKブックス)がある。


「SWITCH」(スイッチパブリッシング)2017年9月号でアラーキーが撮影したファッション写真。

「違法性があるかどうか」と、「アラーキーという芸術家をどう評価するか」が混同して語られていることが、今回の騒動をややこしくしています。そこは別の問題として分けて語るべき。美術の長い歴史の中には、明らかに違法な経緯で生まれた作品もたくさんありますし、大英博物館には略奪品が大量に展示されています。一方、「今の時代にこれを展示するのは、社会的・倫理的に許されない」と判断されれば、どんなに優れた作品であっても公開することは難しい。要するに、ある表現が違法かどうかと芸術かどうかは、別々の価値判断なのです。その点を踏まえ、ここでもアラーキー作品の芸術的な価値はひとまず置いて論じたいと思います。

 100年後、200年後、作品にかかわった当事者全員がいなくなったときに、アラーキー作品が称賛されるのは構わないのですが、今、傷ついている人がいる場合や訴えが起きている場合は、当然その声に耳を傾け、どんな違法性があるのか、反省すべき点は何か議論し、解決しなければなりません。それはごく一般的な事件や問題と同様です。

 論点としては、まず契約の件があります。KaoRiさんとアラーキーは契約書を交わしていませんでしたが、通常はあってしかるべき。アラーキーのような著名な写真家であれば、なおさらです。ただし、アマチュアやインディペンデントのアーティストの活動では、契約書を交わさないケースが多いのは事実。それらも含めて、すべて契約書を交わすべきだと主張するのは極端だと思います。なぜなら、現代美術はビジネスモデルや組織が出来上がっている“産業”ではなく、それぞれが独自の制作スタイルを一から立ち上げる“文化”ですから。被写体のプライバシーに踏み込んだ作品は多くありますが、合意が取れており、誰も傷つけていないケースも多い。そうした作品にまで一律にルールを押しつける段階にはまだ至っていません。もちろん今回のように問題となれば、その都度、対策を取る必要があるでしょう。

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