――エロティックな女性ヌードなどで知られ、世界的な評価も高い写真家・荒木経惟。長年、彼のモデルを務めてきたKaoRiさんによる告発が、「#MeToo」のひとつとして世間をざわつかせた。ただ、この騒動をめぐる議論は錯綜している。そこで、本当に語るべき論点を整理し、問題の本質に迫りたい。
『Araki: Love and Death』(Silvana)よりシリーズ「Kinbaku(Bontage)」(上)と「Flowers」(下)。
半世紀にわたり写真家として活躍してきたアラーキーこと荒木経惟(77歳)。彼の“ミューズ”と呼ばれたダンサーのKaoRiさんが、4月1日、インターネットサービス「note」に投稿した告発文が話題となっている。KaoRiさんは荒木のモデルを2001年から16年まで務め、「私たちの関係は、完全に写真家とモデルで、恋人関係ではありませんでした」と前置きした上で、「当初、私は撮られるだけで、それがどのように使われて行くかは一切知らされていませんでした」(原文ママ)と明かした。撮影にあたっては契約書も、撮影後の展示や出版に関する報告も一切なく、KaoRiさんからは言い出せない状況になり、「忖度して自分を犠牲にし過ぎてしまった」という。
さらに、撮影だけでなく個展のオープニングや取材などにも同行したりしており、次第に時間的拘束が増えていったにもかかわらず、報酬はお小遣い程度か、無報酬のことも多々あったとのこと。自分の名前を冠した写真集が出版されても、KaoRiさんは別の仕事で稼がなくては生活できない状態であった。「ミステリアスで、なんでもする女」というイメージをつけられたことで、ストーカー被害に悩まされ、心身にも悪影響が出たという。最終的には、「有限会社アラーキーに対する名誉毀損と営業妨害に当たる行動を今後一切いたしません」という文書にサインを強要され、“ミューズ”は突然クビになった。その後もKaoRiさんの写真は個展などで使われ続けている。
荒木に対しては、17年8月にもモデルで美術家の湯沢薫さんがフェイスブックで、19歳のときに「性的虐待を受けました」「この事件が起こった後、私は精神病院に行かなければならない精神状態になり、何度もセラピーを受け、モデル業を休業しなければならない状態になりました」と告発した。しかしながら、10月に米国で「#MeToo」運動が始まる前だったためなのか、告発当時はほとんど話題にならず、KaoRiさんの告発で改めて見直されることとなったのである。
アラーキーを擁護した有名写真家が大炎上
こうした動きを受け、インターネットでは「アラーキーの写真は昔から嫌いだったが、これらの告発によって合点がいった」「アラーキーを持ち上げる写真界、日本社会はおかしい」といった意見が噴出し、荒木の評価は急降下。
そこへ写真家・横木安良夫が公式ホームページで「契約書やほとんどギャラがなかったことは、どうでもよい。仕事ではない芸術活動だ」「荒木が写真時代に登場した時を思い出せばわかる。荒木がすごかったのは、そこに登場する女性に対してほとんどに敬意がないことだった。〈中略〉ただ写真は即物的なくせに、荒木は巧みな情緒的文章家だった」(原文ママ)と擁護する文章を発表し(4月10日)、かえって「セカンドレイプ」「ひどすぎる」と批判され、荒木だけでなく写真界全体がイメージダウンする事態になった。
写真評論家の飯沢耕太郎氏は、ウェブマガジン「REALKYOTO」にて「KaoRiさんの文章を読んで一番強く感じたのは、『時代は変わった』ということだ。〈中略〉1990年代には、荒木さんに撮られることを願って押しかけてくるモデル志望の女性たちがたくさんいた」とし、現在よりも自己実現のハードルが高かった時代において、荒木は素晴らしいポートレイトを撮ってくれる「便利な道具」だったと、荒木が数多くの過激なヌード写真を撮り続けられた背景について解説している。KaoRiさんの告発は「真っ当」だとしながらも、この告発によって「彼女を撮影した写真だけでなく、荒木さんの仕事のすべてが否定的に見られてしまうこと」を危惧すると語っている。
芸術なのか、人権蹂躙なのか、この二択で語られることが多いように見える今回の騒動。KaoRiさん自身は、4月13日の「note」で荒木に連絡したが取り合ってくれなかったことを報告しつつ、「荒木さんの写真は、私の写真だけではありませんし、素晴らしい作品がたくさんあります。だからこそ、私はあのような状況でも最後まで彼から離れようとしなかったのです。〈中略〉でも、芸術の名の下に人間をモノ扱いするのは、もうこれで終わりにしてほしいというのが私の願いです」と語っている。
ところで、2月8日から8月31日まで、米国ニューヨークのセックス博物館で、荒木のこれまでの活動を振り返る大規模な展覧会「The Incomplete Araki: Sex, Life, and Death in the Works of Nobuyoshi Araki」が開催されている。同展覧会では荒木を芸術家と位置づける一方で、湯沢さんの告発にも触れており、「荒木氏の作品についての議論は作品の受けとられ方や意味に限定され、同意の有無に関する問題や権力の濫用の可能性という視点が盛り込まれることは非常に少ない」「男性写真家、特に有名な写真家の場合、女性の身体を使った芸術行為への合意形成における力関係を操ることができる」と指摘している。展覧会そのものについては、「#MeToo」の流れにおいてタイムリーで考えさせられるという評価もある。
この状況を、専門家たちはどのように考えるのか? 荒木は、すでに地に落ちたのか? 次記事以降では、「写真」、「法律」、「アート」、「ジェンダー」というそれぞれの視点から、今回の騒動を見ていきたい。
(取材・文/安楽由紀子、編集部)
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