[語句解説]「T4作戦」
アドルフ・ヒトラーが率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が、1933年の政権獲得後に実施した、精神障害者・知的障害者らに対する“安楽死”政策のこと。当時制定された「遺伝性疾患子孫防止法」を根拠に当初は「断種政策」として開始されたが、1939年以降は、ガス室における一酸化炭素ガスを用いた大量殺害へと変質していった。右写真は、本文中にも登場するアルフレート・ホッへ。
政権党となったナチス・ドイツが、ホロコーストによってユダヤ人の殲滅を図ろうとしたことは広く知られています。有名なポーランド・クラクフ郊外のアウシュヴィッツをはじめ、現在でもドイツとその周辺では、強制収容所の残骸が歴史における負の遺産として公開されています。しかしナチスが、ホロコーストを開始するより以前から、精神障害者や知的障害者の抹殺を開始していたことは、それほど知られてはいないでしょう。いわゆる「T4作戦」。T4とは、この作戦本部のあったビルの住所、ティアガルテン4番地を意味しています。
ナチスは政権を奪取した1933年に、「遺伝性疾患子孫防止法(遺伝病子孫予防法)」を制定しました。これによって精神疾患など「遺伝的な疾病を持つ」と見なされた障害者を対象とし、強制的な不妊処置を開始します。もっとも同様の“断種法"は米国、カナダなどですでに成立しており、当時においては、ナチスによるオリジナルな悪魔的アイデア、というわけではありませんが。
しかしこの法律に基づいて断種が行われた者の人数は、40万にも及ぶといわれています。さらにこの法律は、当時同盟関係にあった日本にも影響を及ぼし、1940年に「国民優生法」が制定。同法はのちの優生保護法につながるもので、この法律によって日本政府は、「悪質な遺伝性疾患の素質を持つ者」に対して不妊手術をうながすことができるようになります。ここで「悪質な遺伝性疾患」とされたのは、普通の社会生活が困難な重い病気や障害で、当時「遺伝性」と考えられたものです。国家が障害者の人権を蹂躙したとされるこの問題は昨今、被害者らが声を上げ訴訟を起こすにいたり、メディアで大きな問題となっているのはご存じかと思います。