(写真/永峰拓也)
『千のプラトー 資本主義と分裂症』
ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ(宇野邦一、豊崎光一/訳)/河出書房新社/7500円+税
フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと、精神分析家フェリックス・ガタリが、複雑に入り組んだ高度資本主義社会における人類の営みを新たなコンセプトで読み解く、フランスのポストモダン思想を代表する大著。
『千のプラトー 資本主義と分裂症』より引用
ここで海が非常に特殊な問題として考えられるべきだろう。なぜなら、海こそはすぐれて平滑空間でありながら、ますます厳しくなっていく条理化の要求にきわめて早くから直面してきたからである。この問題は陸に近いところで発生するものではない。反対に、海の条理化が行なわれたのは外洋航海においてであった。海洋空間は、天文学と地理学という二つの成果にもとづいて条理化された。星と太陽の正確な観察の上に成立つ一連の計算によって得られる点と、経線と緯線、経度と緯度を交差させて既知もしくは未知の地域を囲む地図によって。
もともと地球上にはいかなる境界線もありませんでした。国と国を分ける国境線も、所有地を区分する境界線も、すべて人間が引いたものです。逆にいえば、国家を設立したり所有権を確定したりすることは、空間に境界線を引くことにほかなりません。
このように境界線によって区画された空間のことを、現代フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは「条理空間」と呼びました。国境によって区切られた領土も、境界線によって区分された私有地も、また道路や港湾として区画され整備された土地も、すべて条理空間です。
これに対して、いまだ境界線によって区画されていない空間のことをドゥルーズ=ガタリは「平滑空間」と呼びました。かつて人類が定住をせずに狩猟採集をおこなっていた時代にはあらゆる土地が平滑空間でした。
現代ではどうでしょうか。地球上のすべての陸地がどこかの国の領土へと編入され、私有地ないしは公有地として区画されている現代においては、まったくの手つかずの平滑空間をみつけることは困難です。どこの国にも編入されていない南極大陸ですら、国際的な国家同士の取り決めとして「どこの国にも属さない陸地」として区画されています。