――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉
00年代の衰退期もサブカルチャーとサブカルを接続するため、楽しそうに奮闘していた著者の死が、ブロスの終焉だった。
テレビ情報誌の皮を被ったサブカルコラム雑誌「テレビブロス」(東京ニュース通信社)の全面リニューアルが報じられた。執筆陣の大半を入れ替えるあたり、「シティロード」や「プレイガイドジャーナル」の末期に近いというか、実質的にこれで休刊だろう。80~90年代にかけて、両誌の休刊や「宝島」がバンド雑誌からヘアヌード雑誌へ方向転換したことで、代わりに台頭したのが「テレビブロス」だったから、時代が一回りしたのだろうが、今回は代わる媒体がない。プロ野球中継を止め、文化系あさま山荘と化したTBSラジオへ逃げ込むくらいで、文化的には完全に先細りだ。なるほど、もう新しいものが生まれることもない世界で、語り芸の比重が高くなっているから半可通な芸人たちも安心してご意見番を演じることができるのか。
筆者が積極的に「テレビブロス」を買っていたのは川勝正幸やキリンジが連載を持ち、電気グルーヴ関連のヘンな特集をやっていた90年代だが、リニューアル後はたぶん、星野源や高橋一生あたりを前面に出し、石野卓球に罵倒される久保ミツロウみたいな俗物サブカル女子御用達のアイドル雑誌になっていくのだろう。とはいえ、それは仕方あるまい。90年代のサブカル少年少女もいい年したおっさんおばちゃんになり、オタク化した大衆に支配された消費文化のディストピアで色物として生きていくしかないマイノリティになってしまったのだから。『モテキ』の久保ミツロウを罵倒した石野卓球が『ポプテピピック』の大川ぶくぶに寛容なのも、後者がしょせん、日陰者の狂い咲きでしかないことを自覚しているからだ。一応、文化の皮を被っているので、今のところは扱うオタク側も慎重だが、本質的には『月曜から夜ふかし』でネタにされている奇人のおっさんおばちゃんと大差ない。