ディズニーを忖度した東宝が言論統制!? ミュージカル『メリー・ポピンズ』の感動できない舞台裏

 それにしても、こんな対立が起こることを知りながらも、なぜウォルトはこの『メアリー・ポピンズ』の映画化にこだわったのだろうか。実は、彼は早くも1944年からトラバース夫人に映画化の話を持って行っている。長女ダイアンのお気に入りの物語だったからと説明されているが、彼女のお気に入りだからといって物語が映画化された例はほかには聞いたことがない。やはり、娘もさることながら、ウォルト自身が気に入っていたからだと考えざるをえない。では、なぜこの物語はウォルトにアピールしたのだろうか。

P・L・トラヴァーズによる児童文学『メアリー・ポピンズ』(ポプラ社)

 それはやはり、原作の中の自伝的要素だろう。トラバース夫人はオーストラリア生まれだが、父はアイルランド人だった。彼はオーストラリアの片田舎で、物語とその映画版でもそうなっているように、銀行の支配人をしていた。子ども時代のトラバース夫人は、物語・映画に出てくるあのメイドがいる裕福な家庭で育っている。

 現実とフィクションが違っているところは、多くのアイルランド人がそうであるように、この父親は童心に戻って子どもたちと一緒になって遊ぶ好人物なのだが、少しエキセントリックなところがあって、なおかつ酒好きだったことだ。物語・映画では、この父は有能な銀行支配人バンクスと子ども好きの青年バートの2つのキャラクターの姿を借りて描かれている。

 実際の父親も支配人をクビになっているのだが、その理由はフィクションの中の父親とは違って、過度の飲酒だった。オーストラリアのテレビ・ドキュメンタリー(ABCの『Untold Stories: The Shadow Of Mary Poppins』など3本。その反響の大きさが『ウォルト・ディズニーの約束』製作のひとつのきっかけになっている)によれば、これを悲観した母親は自殺未遂を犯している。この事件は、当然ながら子どもたちに大きなトラウマを負わせた。トラバース夫人は、このような子ども時代の暗い経験を文学的に昇華させて『メアリー・ポピンズ』を物語にした。読者の心の深いところでアピールするのは、気づこうと気づくまいと、この単なるファンタジーではない部分だ。

 実はウォルトの父親もアイルランド人だった。そして、酒こそ飲まなかったが、かなりの変わり者だった。そして、建築請負業、農場経営、新聞販売店経営、ゼリー工場経営など、いろいろなことをしては失敗していた。その一方で、トラバース夫人の父とは反対に(そして『メリー・ポピンズ』の中のバンクス氏のように)、規律を重んじ、ウォルトや彼の兄たちに子どもらしい楽しみを禁じた。その反動でウォルトは、『メリー・ポピンズ』のバートのように、子どもの気持ちに寄り添い、一緒になって遊ぶ父親になったのだ。

 アイルランドの血、父に対し持ってる愛憎半ばする気持ち、その共通点がウォルトを『メアリー・ポピンズ』に惹きつけたといえる。そして、このような伝記的要素があることを知っていたほうが、ミュージカル『メリー・ポピンズ』の理解が深まるし、感動も大きくなると私は考える。

ディズニーに忖度する日本企業

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