吉永小百合批判はタブーか? 主演映画がハネなくても支持を集め続ける理由

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 3月10日に全国351館で公開された吉永小百合(72)の120本目の主演映画になる「北の桜守」は土日2日間で18万9000人を動員。興行収入は2億1600万円だった。三倍以上の成績の「ドラえもん」に次ぎ2位と大健闘。「北の零年」「北のカナリアたち」に続く「北の三部作」の最終章はまずまずのスタートを切ったが、最終的には「10億円を超えるぐらいで落ち着く」と、大ヒットには及ばないと見られている。

 最後の「映画女優」と呼ばれる吉永は1957年、小学校6年の時にラジオドラマでデビュー。2年後には松竹で映画女優として銀幕デビュー。以後、映画女優一筋。その大半が主演。文字通り日本映画を代表する女優となった。だが、実は代表作と呼ばれる作品がない。映画記者でも「好きな吉永さんの映画はあげられるが、誰もが認める代表作となると、個人によってバラバラ。昔の『キューポラのある街』をあげる人もいれば、『北の〜』シリーズをあげる人もいる。吉永の代表作は何かと問われると、首を傾げるのが現状です」

 確かに、高倉健なら「網走番外地」三船敏郎は「用心棒」。後輩女優の梶芽衣子には「女囚さそり」といった誰もが思い浮かべる代表作がある。吉永にはそれがない。

「今や吉永は映画界の神様的な存在。非難するような話は書けない。しかし、代表作がないことは本人もわかっていること。120本主役を張ってきた背景には、女優を引退するまでに自他ともに認める代表作を作りたいという強い気持ちがあると言われています」(映画関係者)

 かつての吉永は「サユリスト」と呼ばれるファンに支持され、圧倒的な人気を誇っていた。ベテラン映画記者が振り返る。

「吉永のブロマイドを持っている信者のようなファンもいっぱいいましたが、吉永の最大の魅力は“この世の人とは思えない美女”という見た目の美しさ。これがかえって顔を見ているだけでうっとり満足してしまうファンを多く生んでしまった。健さんは映画の役を含めたファンが大半ですから、映画館に足を運ぶし、何度も同じ映画を観る人もいた。しかし、吉永ファンは映画ではなく、吉永個人のファンですから、必ずしも映画館に行く必要がない。映画は口コミ。行く人がいないから口コミで伝わらない、伝わったとしても、『ファンが喜ぶ映画』と言うぐらいでしょう」

 ファン心理とは微妙なものだが、実際の吉永の女優としての資質を元映画制作者が語る。

「日本を代表する綺麗な女優ですが、綺麗さを活かすために役が限られてくる。汚れ役や色っぽいシーンなどをやらせたらファンが暴動を起こすと言われたほどです。結局、清純派のイメージを崩すような役はすべてNG。逆説的に言えば、清純派しかやらせてもらえなかったことが吉永にとって不幸でもあった。結果、作品は変っても演じる吉永は根本的に変わらない役になってしまう。変わるのは年齢に応じた役の設定。今なら母親役のように。往年の吉永ファンも映画ではなく吉永の顔が好きな人が多く、映画にはさほど興味を持っていない。これでは若い人も吉永映画には興味を示さない」

 事実、若者の声を聞くと、「名前も顔も知っているけど、あまり興味もないし、映画も見たことない」と、吉永はまるで幻の名女優のような存在。吉永ファンを中心とした高齢者しか動員が望めないから映画も大ヒットしない。悪循環が続く。

「今回吉永はいつもよりも精力的に宣伝活動をしていました。メディアも大々的に協力してプッシュし、宣伝はばっちりでした。しかし、映画に宣伝は必要ですが、宣伝過多は逆効果という一面もある。昨年、木村拓哉の『無限の住人』がコケたのは、ベタ褒めだけの前宣伝と予告編でお腹いっぱいになってしまったからだと揶揄されたほどです。吉永も必死に宣伝していましたが、それが観客動員に繋がるかは疑問。作品も堺雅人、篠原涼子、阿部寛、佐藤浩市といった錚々たる共演者ですが、問題は映画の中身。今の若い人が母子の愛を描いた昭和の香りのする映画に関心があるかどうか。高齢者が最初のうちは足を運ぶが、その後が続かない。最終的に興行成績が伸びずに終わる。今回も北の三部作では一番の成績になるかもしれませんが、爆発的な数字にはならないと見られています」

 代表作はなくとも日本を代表する大女優であることだけは間違いないが――。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

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