映画『ダークナイト』語りおじさんに見え隠れする、日本映画界にはびこるミソジニー

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

 かつて森高千里は「オレは10回ストーンズ見に行ったぜ」と絡んでくるウザい男を「そんな言い方平気でしてると、おじさんと呼ぶわよ」とバッサリ斬り捨てた(「臭いものにはフタをしろ!!」作詞:森高千里)。平成が始まったばかり、1990年のことである。

 平成も終わりに近づいた2018年、さすがに“ロックおじさん”は絶滅寸前だろうが、“映画おじさん”はまだ健在である。映画通を気取って女子に接近する、由緒正しき文化系男子の系譜だが、その中でもここ数年で出現した若手有望株が、30~40代に多い「ダークナイト男子」だ。彼らは映画『ダークナイト』(08年)の素晴らしさを年下女子たちに滔々と語り、そして嫌われている。

『ダークナイト』はバットマンを主人公とした「ダークナイト三部作」の2作目。近年のアメコミヒーロー映画の中では突出して(評論家方面からの)評価が高い作品として知られているが、マンガ家の東村アキコが『東京タラレバ娘』(講談社)の主人公・倫子に「男は大好きだけど女が観ても全然面白くない映画No.1」と言わせ、それはそれは小さな界隈で小競り合い程度の物議を醸した。

 男たちが「『ダークナイト』を評価している俺」をこれほどまでにドヤ顔アピールしたい理由は、同作がアメコミヒーローもの(というピュアな少年性の産物)であるのと同時に、バットマン自身の人間的苦悩、「正義の行使」に関する哲学的な問い、9・11以降の米国社会などを読み込める(オトナっぽさをたたえた)社会批評的側面を持ち合わせていたからだ。それを見透かしている女子にしてみれば、『ダークナイト』というカードたった1枚で、自分の政治的立ち位置をお手軽かつ偏差値高めに表明できた気になっている男どものドヤ顔が、最高にウザい。ついでに言えば、彼らの披露する作品読解の8割方が、『ダークナイト』を激賞する町山智浩氏はじめ何人かの評論家たちの受け売りだということも、多分感づかれている。

 なお、東村の「ダークナイト男子」バッシングに対して、一部の映画好き男性から「女はヒーロー映画に秘められた深い主題を理解しない(=バカだ)」という声も上がっていたが、端的に言って的外れだ。彼女たちが言いたいのは、「人間的苦悩や正義の定義や9・11以降の米国社会を、なにも黒ずくめのコスプレオヤジが主人公のアクション映画に乗せて考察しなくてもよくね?」ということであるからして。「なんでわざわざ『機動戦士Zガンダム』を持ち出して女の業を語んなきゃいけないの?」とか、「なんでわざわざ萌え絵のエロゲーを持ち出して文学論や芸術論や人生論を語んなきゃいけないの?」と同じ。

 女性は心のどこかで、自称映画通たる彼らが(雑誌「映画秘宝」〈洋泉社〉のような)女人禁制の“部室”内で、「どうせ女は映画リテラシーがない」とゲヘゲヘ嗤っているのではないかと疑っているフシがある。それを被害妄想と片づけるのは簡単だが、致し方ない。日本の映画配給会社が女性を集客しようとする際の手法が、あまりにも女性をバカ扱いしている(ように見える)からだ。

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