――カメラマン・デザイナー、そして親日家としても知られるアッシュ・ハドソン。そんな彼が自らが体験した日本の“アングラ文化”を詳細にレポート。
アッシュの母親であるオラ・ハドソン
ハッピーニューイヤー。新年一発目は、「そもそもアッシュって何者なんだ?」って思っている読者のみんなに、改めて自己紹介する意味も含めて、俺が世界で一番愛するママについて話したい。
ママの名前はオラ・ハドソン、服飾業界では世界的に名の知れた衣装デザイナーだ。俺にとっては、ママであると同時に、親友でもあった。9年前に亡くなったんだが、直前まで衣装のデザインを手がけていた。生前、自分の年齢を口に出すことはなく、「私は永遠の16歳。心はずっと若いままよ」って言っていたんだけど、今でも思い出すと涙が出てくるよ。
ママは1946年生まれで、小さい頃はダンスの劇団に所属していた。けど、祖母がペインター(絵描き)だったこともあって、いつの間にか衣装をデザインしたり、作ったりすることに興味を持ち始めたんだ。ママのデザインは、まるで魔法のようだった。誰かに師事せず独学だったことが功を奏したのかもしれないが、既存のスタイルにとらわれず、 キャンバスに描くラフなデザイン画さえも美しかった。70年代に入り、ファッションの最先端がヨーロッパだと知ると、ママはロンドンに移り住むことにした。そこでイギリス人の父親と結婚し、兄貴(ガンズ&ローゼズのスラッシュ)が生まれ、俺が生まれると、父親と離婚。兄貴がよく取材で話しているけど、離婚後に付き合った恋人がデヴィッド・ボウイだった。兄貴は、2人が素っ裸でメイクラブしているところを何度か目撃しているらしい。