(写真/永峰拓也)
『カント全集 第16巻』
イマヌエル・カント(尾渡達雄/訳)/理想社/絶版
1965年から1988年にかけて配本された理想社版カント全集。第16巻は教育学に関するテキスト、小論集、遺稿集を収録。今回の引用元の小論はフランス哲学者コンスタンの批判に応えたもので、当時から賛否両論を呼んだ。
『カント全集 第16巻』より引用
すなわち、もしきみが、まさにいま殺意をいだいてうろついている人にうそをついてその行為をさまたげたとすれば、きみはそれから生ずるかもしれないすべての結果に対して法律上の責任がある。けれども、もしきみが厳に真実を守ったとすれば、司直もきみには手出しができない。予測できない結果がどのようなものであろうとかまわない。しかしながら、きみが刺客の敵視する人が在宅しているかという問いに対し、正直に「いる」と答えたあとで、その人がそっと出ていって刺客に出会わず、したがって殺人行為が生じないかもしれない、ということはありうる。けれども、もしきみがうそをついて、彼は在宅していないと言い、また実際(たとえ、きみは気づかなくても)彼は外出しており、その結果刺客が出てゆく際彼に出くわし、犯行を加えたとすれば、きみはその人を死なせた張本人として、当然告訴されうるのである。
『人間愛からならうそをついてもよいという誤った権利に関して』より引用
(理想社刊『カント全集 第16巻』所収)
あなたの家に友人が助けを求めてきたとします。「助けて!殺される!」と。
あなたは家に友人をかくまいます。
しばらくすると追っ手があなたの家にやってきました。追っ手はあなたに尋ねます。「あいつはここにきていないか?」
このときあなたは正直に友人が家にいると言うべきでしょうか。それとも家にはいないと嘘をつくべきでしょうか。
多くの人は「嘘をつくべきだ」と考えるにちがいありません。友人を守るためには嘘をつくのもやむをえない、と。
これに対して18世紀ドイツの哲学者、イマヌエル・カントは、正直に本当のことを言うべきだと論じました。たとえ人を助けるためであれ嘘をついてはならない、と。上の引用文がその該当箇所です。
とはいえ、このカントの主張にただちに納得できる人は決して多くはないでしょう。たしかに嘘をつくことはいけないことかもしれないが、この場合、嘘をつく相手となるのは友人の命を奪おうとしている人間である、そんな人間はそもそも正直なことを言われる立場にないはずだ、命を奪うという悪に比べれば、嘘をつくという悪はきわめて小さな悪である、小さな悪によって大きな悪を阻止することは、結果的に善をなすことになるのではないか――。こんな疑問がわいてきてもおかしくありません。