【哲学入門】ナショナリズムの古典で語られる、国民を国民たらしめる要素とは?

(写真/永峰拓也)

『国民とは何か』

エルネスト・ルナンほか(鵜飼哲ほか/訳)/インスクリプト/3500円+税
個人の主体的意志が国民を形成するという定義を唱えたルナンの講演「国民とは何か」邦訳のほか、ドイツの哲学者フィヒテによる国民論「ドイツ国民に告ぐ」、バリバール、鵜飼哲らの論考を収録。


『国民とは何か』より引用
国民とは、したがって、人々が過去においてなし、今後もなおなす用意のある犠牲の感情によって構成された大いなる連帯心なのです。それは過去を前提はします。だがそれは、一つの確かな事実によって現在のうちに要約されるものです。それは明確に表明された共同生活を続行しようとする合意であり、欲望です。個人の存在が生命の絶えざる肯定であると同じく、国民の存在は(この隠喩をお許しください)日々の人民投票 〔un plébiscite de tous les jours〕 なのです。

 かつて、ナショナリズムを批判することが、日本の哲学・思想界において最重要のテーマの一つだったことがありました。90年代後半から00年代前半にかけてのことです。

 現在から考えると想像しづらいかもしれませんが、当時「ナショナリズムを批判しなくてはならない」というその圧力はきわめて強くて、人文思想系のアカデミズムでは、能力のない人はとりあえずナショナリズム批判で研究論文を書く(そうしておけばなんとなく格好がつく)、というほどの強さでした。

 ナショナリズムがそこで批判されるべきものとされた理由は、一言でいえば「ナショナリズムは他者を排除する原理である」というものでした。

 たしかにナショナリズムはネーション(国民)を政治の土台として重視する原理ですので(この点でいえば国民主権の原理もナショナリズムの一つです)、「国民」と「国民ではない人たち」を区別し、「国民ではない人たち」よりも「国民」を優先する傾向がどうしてもあります。場合によっては「国民」の利益を守るために「国民ではない人たち」を差別したり排除したり攻撃したりすることもあるかもしれません。

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