東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。
(絵/ジダオ)
夏休み明けの最初の水曜日、彩美は学校を休んだ。高校に入学して以来、無遅刻無欠席だった記録がこれで途切れたことになる。でも、こういう記録は早めに切断しておいたほうが良い。変に続くと、記録が一人歩きをしてこっちを圧迫するようになる。
中学二年生の時、クラスの全員が無遅刻無欠席を続けていた記録が、彩美の無断欠席によって途切れたことがある。その時の担任教師の錯乱ぶりと、クラスメートたちの冷淡な視線を、彼女はいまでも少し根に持っている。
「なんでもありません」
と、彩美は執拗に同じ質問を繰り返す教師に、欠席した理由と、地元の駅から電車に乗って向かった行き先を、最後まで答えなかった。
2年近く続いていた完全出席記録が途絶えたことで、クラスを支配していた団結の空気は、ウソみたいに消えてなくなった。というよりも、32人の級友を結びつけているかのように見えた絆が、そもそもウソだったのか、でなければ思い込みに過ぎなかったのだ、と、彩美はそう考えている。
その日、彩美は、小学校2年の時以来別居していた母親に会うために、駒沢公園のそばのオープンカフェに向かっていた。が、店に到着すると母親は消えていた。彼女は一人でカフェラテを飲み、一時間ほど駒沢公園を歩いて、結局、家に戻った。
一年後、その母親の静子から連絡があった。
東京の高校を受験するつもりなら、自分の住んでいる場所に住民票を移してもかまわないという、独特の遠回りした言い方で、同居を打診するメッセージだった。静子がこんなことを言い出したのは、駒沢でのすれ違いの半年後に、彩美と同居していた静子の母親のトキが、急死したからだった。
葬儀のために帰省した折、静子は、彩美に福島市内の実家を処分して、東京で暮らすプランを提案した。しかし、彩美は頑として同意しなかった。
「ブラスバンドの大会があるから」
というのが、彼女の言い分だった。
彩美は、福島に住むようになって間もなく、地元の鼓笛隊でクラリネットを担当するようになり、中学校に進んでからは、テナーサックス奏者として、学校の吹奏楽部で活躍していた。秋には、全国大会がある。彩美の中学校は、前の年に県代表として、銅賞を獲得する成績を残している。今年は、主力の三年生部員として、順調に県予選を突破し、昨年以上の成績を期待されている。その三年生部員のエースであり、顧問教師のいない時には、指揮棒を任されている自分が、夏を前に地元を離れるわけにはいかないというのが彼女の言い分だった。
静子がメッセージを送ったのは、コンクールが終わって、彩美の中学校が銀賞を獲ったことをネットで知ったからなのだが、それ以上に、郊外の一軒家で一人暮らしをしている彩美の境涯に懸念を抱いているからだった。
「大丈夫だよ。友だちが泊まりに来てくれるし」
と、以前電話をした時に、彩美は笑ってそう言っていたが、静子は納得しなかった。
「それが心配なのよ」
「どうして?」
「どうしてもこうしてもないでしょ? 中学生が一人住まいしている家が仲間のたまり場になって、いつまでも無事で済むわけがないじゃない」
じっさい、市街地から5キロほど山側にある彩美の家は、やがて素行の良くない少女たちの根城になった。そして休日には吹奏楽部の選抜メンバーが組んだバンドの練習場に変貌してもいた。