【哲学入門】人間存在に必要不可欠な三つの条件とは何か?

(写真/永峰拓也)

『人間の条件』

ハンナ・アレント(志水速雄/訳)/ちくま学芸文庫/1500円+税
「人間の条件」の基本的な要素となる活動力を「労働」「仕事」「活動」の3つに分け、近代以降におけるその活動力の優位の変化を考察。「労働」優位の近代世界を、思想史的に批判する。『全体主義の起源』と並ぶ、アレントの主著。

『人間の条件』より引用
人びとは活動と言論において、自分がだれであるかを示し、そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、こうして人間世界にその姿を現わす。しかしその人の肉体的アイデンティティの方は、別にその人の活動がなくても、肉体のユニークな形と声の音の中に現われる。その人が「なに」(“what”)であるか――その人が示したり隠したりできるその人の特質、天分、能力、欠陥――の暴露とは対照的に、その人が「何者」(“who”)であるかというこの暴露は、その人が語る言葉と行う行為の方にすべて暗示されている。

 人間を理解すること。これは哲学にとってきわめて重要なテーマです。たとえば私たちは、ひとはなぜ生きるのか、と問うことがありますよね。やはり私たちは“自分が生きることの意味”に無関心ではいられないのでしょう。同じように私たちは、自分はどう生きるべきか、と問うことがあります。この問いにも、“自分が生きることの意味をつかみたい”という私たちの欲求があらわれています。

 ただし、哲学が人間を理解しようとするとき、その問いは上のような“生きることの意味”を考えるものばかりではありません。たとえば哲学の世界では、人間が生きるとはそもそもどういうことか、と問われることがあります。この問いは上の“生きることの意味”を考える問いとは似て非なるものです。というのもそれは、ひとはなぜ生きるのか、と問うまえに、そもそも人間が生きるとはどのようなことか、を考えようとするわけですから。

 こうした問いは、哲学では存在論的な問いといわれます。これに対して、先の“生きることの意味”を考えるような問いは意味論的な問い、もしくは当為論的な問いといわれます。なぜ後者の問いが「存在論的な問い」だといわれるのかというと、それはその問いが、人間が存在するとはどのようなことか、を問うものだからです。

 要するに、哲学が人間を理解しようとするとき、そこにはおもに二つの問いのたて方があるということです。一つは意味論的に問うというやり方であり、もう一つは存在論的に問うというやり方です。

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