――いつからだろうか、音楽業界は、表現の自由に対する自主規制の波が高まってきている。それは対象となる人物や団体、企業からの苦情と対峙するのを回避する策であり、不特定多数からのネット炎上を避けるためでもあるという。しかし、それを恐れて本当に“良作”は生まれ得るのだろうか……?
忌野清志郎率いるRCサクセションのアルバム『COVERS』の「素晴しすぎて発売出来ません」の新聞広告は、ある意味で斬新である。
テレビや新聞などマスコミの世界と同様に、さまざまな形で“自主規制”せざるを得ない状況となっている音楽業界。古くは1988年、RCサクセションのアルバム『COVERS』に収録された「サマータイム・ブルース」が原発問題を扱ったことが原因で、当時の発売元であった東芝EMIが新聞広告にて「素晴しすぎて発売出来ません」と宣言。その上で同作の発売を中止したように、作品を心血注いで作り上げたアーティストの努力が大きな力によって無残にも踏みにじられるケースすらあったのも事実だ(ただし『COVERS』の場合は、のちに別レコード会社から発売)。また、発売中止とまではいかなくても、レコーディング前の歌詞にチェックが入って、内容を変更させられているなんてケースは日常茶飯事のように起きており、例えば「歌詞にクスリや病名を入れたら書き直させられた」なんていうアーティストの声も、実際に耳にしたことがある。
憲法で認められている表現の自由という大前提がありながら、誰がそのような圧力をかけているのか? そこで真っ先に槍玉が挙がるのが「レコード倫理審査会」(通称・レコ倫)であり、「レコ倫が表現の自由を奪っている」などという都市伝説もまことしやかに語られている。〈音楽業界内におけるタブー=自主規制〉を招いている諸悪の根源は何なのか? レコ倫への直接取材に加え、さらにベテラン・レコード会社スタッフによる現場からの声も交えながら探ってみたい。まずは、レコ倫を運営している日本レコード協会の理事である畑陽一郎氏に、審査の基本的な流れを聞いた。
「レコ倫は日本レコード協会に加盟するレコード会社の委員と、さらに有識者の先生方4人で構成されています。各レコード会社がリリースするすべての邦楽が対象であり、まずは委員の間で分担をし“粗選り”という予備審査を月2回のペースで行います。そこで歌詞になんらかの問題が見受けられる曲をピックアップ、各レコード会社へフィードバックしたり、先生方の見解もうかがいながら、最終的に残った要検討作品を毎月1回開催される審査会にて審議します。そこで、レコード会社と有識者の委員が言葉の意味だけでなく、前後の文脈からも検討を加え、それが世に出た場合の社会的影響などを考慮した上で“問題あり”と判断された作品に関しては、当該レコード会社に対して注意・勧告を行うことになります」
具体的な数字を挙げると、各レコード会社からレコ倫へ毎月提出されるのが800~900曲で、年間では約1万曲。昨年は、そこから19作品が要検討作品として取り上げられ、最終的に“問題あり”として注意・勧告がなされたのが3作品であったという。
「3作品のうち2つが薬物、ひとつが民族差別でした。レコ倫で制定した〈レコード制作基準〉に従って審査・判断をしているのですが、基本になっているのは法令違反を推奨するような歌詞ではいけないということ。それによって社会の秩序、公序良俗を乱すものであってはいけないという考えです。実際、粗選りによって審査の対象として挙がってくるものとして、多く出現するのが薬物表現と差別・侮辱系の表現です。差別・侮辱系の表現はさまざまですが、民族差別呼称、特定宗教などの侮辱が例として挙げられます。
差別・侮蔑に該当するかの判断は、該当する方々の受け止め方も考えなければなりません。最終的には表現の自由という考え方もあるでしょうが、仮に問題ともなれば、表現者が責任を取らないといけないわけでして、抗議を受ける可能性も考慮して対応を判断する必要があります」(畑氏)
差別・侮辱系に関しては、あからさまな差別用語だけではなく、我々が普段、特に意識せずに使っているような言葉であっても、審査の対象となるケースもある、というわけだ。
なお、昨年問題ありと判断された3作品に関しては、歌詞カードで該当部分を伏せ字にするなどの対応が行われたという。また、過去には問題部分の音声処理がなされたケースもあったようだが、音まで編集する対応は非常に稀であるという。大手メジャーレコード会社でディレクターを務めるA氏は、こう証言する。