【特別対談】岩根愛(写真家)×白水繁彦(社会学者)ハワイのボンダンス/フクシマオンドの故郷【前編】

常夏の楽園――。ハワイをそんなイメージのリゾート地ととらえている読者は少なくないだろう。一方、彼の地には多様な民族が生活し、その中で日系人たちに育まれてきたボンダンスと呼ばれる盆踊りがある。それを現地で撮り続けてきた写真家・岩根愛が、今、日本の福島でも撮影を行う理由とは――。前後編にわたり、彼女の写真とともに両地の知られざるつながりを考察していきたい。

マウイ島にあるラハイナ浄土院のボンダンス。寺院の前にあるビーチでは「灯籠流し」も行われる。

 ハワイの日系コミュニティで6月から9月まで毎週末行われる盆踊り=ボンダンスに魅せられた写真家・岩根愛氏。100年以上前に日系移民1世たちが持ち込んだ櫓を今も使い続けていること、ボンダンスのイベントで流れる「フクシマオンド」のルーツが福島県浜通りに伝わる相馬盆唄にあることなどに、やがて興味を持つようになった。その岩根氏をホストに、本誌では今号と次号でハワイと福島の知られざる歴史や双方の関係についての対談をお届けする。前編の今回は、ハワイの日系社会を30年以上研究してきた社会学者の白水繁彦氏にご登場いただいた。

ボンダンスが始まった本当の理由とは?

ハワイ島にあるパホア日系人墓地は、2014年6月27日より発生した火山の溶岩流にその3分の2が埋もれてしまった。

岩根 日本からハワイへの最初の官約移民は1885年に山口や広島から来た人たちで、その15年後に福島や沖縄の人たちがハワイにやって来ました。その中で、福島の人たちは「ズーズー弁がわからない」などと差別された話があるのですが、そのことは彼らが盆踊りに力を入れて団結した理由のひとつにもなったのかなと。

白水 そうした文化的な違いに加え、経済格差による差別も大きいですね。最初にハワイにやって来たのは1868年の“元年者”の約150人です。85年からは明治政府とハワイ国の官同士の約束で来た官約移民がやって来ます。時の外務大臣・井上馨は長州閥ですから、自分の息のかかった人たちを介して広島、山口、福岡、熊本といった西日本の人々にしか情報を与えなかった。当時、ハワイに行けば日本で農家の手伝いをするより何倍も稼げましたからね。沖縄はまだ日本に併合された直後だったので外され、15年後の99年にようやくハワイへ出ることができました。ただ、この頃は民間の移民会社が仲介するようになっていた。移民会社は移民側からも雇用する側のプランテーションからも手数料が取れるので、とにかく儲かる仕事だった。そんなわけで、人が欲しくて北陸や東北にまでリクルートに行った。そうして沖縄や東北から新たな移民が来るのですが、最初の移民から15年もたつと、先に行った人たちはもう結構稼いでいる。それに対し、新しく来た福島や沖縄の人たちはみすぼらしく見えた。それも差別された理由です。そこで、「自分たちで自分たちを守るしかない」と結束力が高まったということでしょう。

岩根 当時、住区が国や出身地で分かれていた中で、福島村にあったパイア満徳寺で1914年に行われたものが、お寺で行われたハワイの盆踊りとしては最初とされています。盆踊りという故郷の祭りを行うことが、日々を生きていく原動力になったのでしょうか?

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