【神保哲生×宮台真司×宮下 紘】民主主義をも凌駕するビッグデータへの警鐘

――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

『ビッグデータ分析・活用のためのSQLレシピ』(マイナビ出版)

[今月のゲスト]
宮下 紘[中央大学総合政策学部准教授]

5月30日、改正個人情報保護法が施行された。もともと、03年に制定された現行の個人情報保護法は、SNSやビッグデータなどの存在を前提としていなかったため、今日のスマホ普及やすべてのネットワークがつながるIoT時代にはまったく対応できていない。では、個人情報保護という観点でビッグデータはどのように捉えるべきなのか?

神保 先週は弁護士の清水勉さんをお招きし、共謀罪について取り上げました。その中の重要なポイントは、実際には何も悪いことをやっていなくても共謀の疑いがあれば、盗聴、GPSなど含めて情報を集めることが可能になってしまうことでした。そして、かつて公安などが足で稼いでいたレベルの情報よりも、はるかに大量の情報が蓄積されて、ビッグデータになると。

神保 一言でいえば、お役人たちが、市民や政治家のプライバシー情報を簡単に丸裸にできるのが、共謀罪。「治安維持法の復活」という左翼の危惧はやや見当外れです。むしろ役人と政治家の力関係が変わることがポイントです。政権が代わっても一貫して共謀罪の成立を狙ってきた法務官僚の目的を考えれば、それしかあり得ない。これは左翼にありがちな紋切り型の批判では拾われていない部分です。青木理さんが貴重な例外です。

神保 ビッグデータというのは、ビジネスの世界では非常によく出てくるテーマです。ビジネスに応用できることは大きく、その機会を逃してはいけない、というのはわかる。一方で、そのリスクについては十分に顧みられていないように思います。そこで今回はそのリスクをきちんと整理しておこうということで、このテーマを設定しました。ゲストは中央大学総合政策学部准教授の宮下紘さんです。宮下さんは今年の3月に『ビッグデータの支配とプライバシー危機』(集英社新書)という本を出されました。個人情報保護法の話が出てきますが、日本の同法は時代遅れだった、ということですね。

宮下 そうですね。ようやく改正ということになりましたが、できたのが2003年、議論されていたのは、SNSもなければ、ビッグデータという言葉もなかった時代です。つまり、インターネットを前提とした法律になっていなかった。

神保 当時はまだ、「名簿を作るのはやめよう」といったような話でしたね。5月30日に改正個人情報保護法が施行されますが、これについてはどう採点していますか?

宮下 比較的、評価をしています。15年9月に初めて改正されましたが、その背景にあったのは、企業がビッグデータの利活用ができない、ということでした。実は「個人情報と呼べばなんでも保護する」という、法律には書かれていない誤解があり、「この法律は地域の絆を破壊するものであり、不祥事は隠され、閉鎖社会を作る法律だ」という過剰反応を招いてしまった。そういう意味で、今回改正をして、使える場面をはっきりと明示したという点では、大きな前進だと見ています。

神保 そもそもなぜ、過剰反応が起こったのでしょうか?

宮下 個人情報保護法は、日本で初めての総括的な個人情報に関する法律でした。その前提にあるのは、本来であればプライバシー権です。ところが日本社会は、良くも悪くもエチケットの一環として、「他者の私事には立ち入らない」という形で発展してきたこともあり、そこに強制力、刑罰権まで生じたことで、一気に振り子が保護のほうに振れてしまったというふうに見ています。つまり、日本ではプライバシーについての哲学、思想が根付いていなかったのではないかと。

神保 プライバシー権とは、自己情報制御権のことで、その前提としての閲覧権を含みます。自分が人に見せたい自分であることができる権利です。社会学の言い方だと「自己呈示(Self-Presentation)」を自分でコントロールする権利。教員が自宅にエロ本をストックしていたとして、それを暴かれれば教員としての体面を失います。つまりプライバシー権は、私生活を覗き見てはいけないというエチケットではないし、誹謗中傷で名誉を傷つけちゃいけないという話でもない。自己呈示上の障害を除去するのが目的です。

神保 それを自分でコントロールできる権利ということですね。結局、ここまでの14年間で、個人情報保護法は目的を果たしてきたでしょうか?

宮下 この法律の目的は、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利権益を保護することです。宮台先生のご指摘のように、本来は自分の情報は自分でコントロールできるものであり、どの情報をどの人に開示して、どの人に開示しないのかということを自分で選択できるようにする権利の章典であるはずだった。しかしこの法律には、「義務」ばかり書いてあるんです。それがかえって、企業の萎縮につながってしまったと考えています。

神保 個人から申し立てがあったら、一定の手続きをすることを企業の「義務」としているのであって、申し立てが来ないようにガードを作ることが目的ではないんですよね。

神保 今回の改正によって、プライバシー権が必ずしも確立されていない中で、今よりも企業が情報を使いやすくなるということだと、それはそれで心配ですが、そのあたりはどうですか?

宮下 保護の側面と利用の側面で、バランスを取った形になっています。具体的に企業が使える条項としては、「匿名加工情報」ということで、氏名を消し、住所なども「東京都」、場合によっては「関東」など大きなものにすることで、データを使えるようにしましょうと。他方で保護の側面としては、個人情報保護委員会という監視監督委員会が新たにでき、違法な企業に対しては立ち入り検査ができるなど、非常に強力な権限が付与されています。3年後に見直しがあり、様子を見つつ、保護と利用のバランスを図っていこう、ということですね。

神保 過剰反応で、名簿も連絡網も作れず、同窓会もできない……という状況は変わるかもしれませんね。

神保 その部分が変わるだけでも、市民生活はかなり利便性が上がります。でも潜在的な問題として、冒頭に共謀罪の話をしたように、行政官僚や企業人が、僕らのプライバシー情報を僕らが知らないうちに使うことで、裁量行政上の権益や利益追求上の機会を不当に拡大できる余地が心配です。だから、僕らの側が、例えば自己情報閲覧権を行使できなければ、バランスが取れないわけですね。

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