――フジテレビ肝煎りの月9ドラマ『貴族探偵』が不調で、社長の更迭や月9枠廃止まで取り沙汰されているが、その失敗の要因はもう少し冷静に分析する必要がある。そもそも原作に据えた「ジャンル小説」が実写化に不向きな構造だとしたら……。気鋭の〈元〉批評家・更科修一郎が過去の実写化作品を振り返りながら、ジャンル小説とテレビドラマの相性を鋭く分析する。
相葉雅紀、武井咲のほかにも、中山美穂や仲間由紀恵など、これでもかというほど豪華なキャストで挑んだ『貴族探偵』だが、視聴率10%を切る残念な結果に。
倉本聰から持ち込まれた『やすらぎの郷』(テレビ朝日)の企画を門前払いし、『貴族探偵』(麻耶雄嵩)に賭けたフジテレビの亀山社長は更迭されてしまったが、原作読者の目から見れば再現度は高く、相葉雅紀を主役に据えた意図もわかる。武井咲の女探偵と貴族探偵がひとつの事件に対し異なる解決を提示する二重構造の上で、貴族(かどうかも怪しく胡散臭い)探偵が最初からすべて知っていたと匂わせる伏線の巧緻がこの作品の肝で、成功している回は面白いのだが、はて、それを面白いと思う視聴者はどれだけいるのだろうか?
『貴族探偵』の原作はジャンル小説のヒット作だが、ジャンル小説の中でも「新本格ミステリ」や「ライトミステリ」は、テレビ局と大手芸能事務所のキャスティング先行が多い若者向けテレビドラマの原作として安易にセレクトされ、失敗案件が目立っている。
ジャンルの定義はマニアが終わらない論争を繰り返しているので、適当にまとめると、社会派要素より謎解きを重視する江戸川乱歩や横溝正史などの古典的推理小説が「本格」で、『十角館の殺人』(綾辻行人)以降の同時代的な推理小説が新世代の本格=「新本格」と呼ばれている。一方のライトミステリは、往年の赤川次郎や辻真先などの流れを汲む「ゆるい」娯楽ミステリで職業ものが多く、海外では「コージーミステリ」と呼ばれている。この2つに適当な社会派要素を加えれば、テレ朝の十八番である『相棒』『科捜研の女』といった日本の平均的なミステリドラマになるが、そっちは別に失敗していない。作家で言えば、東野圭吾、横山秀夫、池井戸潤、奥田英朗などのドラマ化案件だ。
社会派要素が乏しく、謎解きの複雑怪奇さを競う新本格は間口が狭いので、マンガ風のイラストで荒唐無稽なキャラクター性を強調し、求心力とする傾向があり、近年はライトミステリへ接近/融合しつつある。その典型例だった『謎解きはディナーのあとで』(東川篤哉)が櫻井翔主演で大当たりして調子に乗ったフジは、新本格の大ヒット作『すべてがFになる』(森博嗣)まで『ノイタミナ』枠のアニメ版と同時展開という三顧の礼でドラマ化し、微妙な結果に終わったが、今クールもフジだけが『貴族探偵』『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』(太田紫織)の2作を放送している。