【小田嶋隆】足立区――優柔不断な男と強気な彼女と捨て猫

東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

(絵/ジダオ)

 美沙が猫を飼いたいと言い出した時、秋山遼太は即座にその申し出を拒絶した。

「あり得ないよ」

 自分でも意外に思えるほど断定的な口調だった。

「なにそれ」

 美沙は反発した。当然だろう。なにしろ遼太が美沙の意見にあからさまに反対するのは、はじめてのことだったからだ。

「あり得ないって、いったいどこの専制君主になったつもりでものを言ってるわけ?」

 これまで、遼太は、美沙が持ち出してくる思いつきを、ほとんどすべて容認してきた。というよりも、交際をはじめて以来、決定権は、常に美沙の側にあった。彼女が提案し、遼太が賛成してコトが進む。それが生活の基本設定だった。家具や食器の選定から、店選びや、休日の旅行先に至るまで、すべての計画とアイディアは彼女の胸中から生まれた。

 唯一、遼太が美沙の提案に難色を示したのは、3年前に彼女が、足立区の扇大橋の近くの3LDKの賃貸マンションを決めてきた時だ。

 家賃や広さに不満があったのではない。彼が良い顔をしなかったのは、中学2年から3年にかけての2年間、足立区内の扇からほど近い場所に住んでいたことがあったからだ。遼太にとって、その区立中学校に通っていた2年間は暗黒の時代だった。

「あのあたりはあんまり好きな土地じゃない」

 と、そんなわけで、遼太は引っ越しを渋ったわけなのだが、美沙の反撃は、すさまじかった。

「好きじゃないってどういう意味? 何を根拠に地域差別してるわけ?」

「……差別とかそういう話じゃないよ」

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