――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』のDVDのジャケットには、タバコの警告表示よろしく「パートナーとの関係を破壊するおそれがあります」と大きく書いておくべきだ。
とにかく身も蓋もない話である。舞台は1955年のアメリカ。郊外の新興住宅地に住む若い夫婦の関係がメタクソに破壊されていく惨状が、2時間かけて執拗かつ無慈悲に描かれる。夫婦やカップルで一緒に観たが最後、自分たちの関係性に横たわる「未解決問題」をひとつずつ丁寧に掘り起こされて眼前に突きつけられること必至なので、心の底からオススメしない。
注目したいのは、妻のエイプリル(ケイト・ウィンスレット)だ。彼女はかつて女優志望で、夫のフランク(レオナルド・ディカプリオ)とともに、「芸術に通じ、感受性が強く、先進的で聡明」であることを自負する自意識の高い女性だが、現実はことごとく彼女の満足するものではなかった。
そもそも、一軒家を購入して越してきた理由は、期せずして“授かって”しまい、家族が増えたから。平たく言えば「ヘタを打った」のだ。しかも、「望んだ妊娠だったと証明したくて2人目を出産」(エイプリル・談)というから、目も当てられない。
「レボリューショナリー・ロード」とは、彼らの住む庭付き一軒家が面している、道路の名前。直訳すれば「革命的な通り」だが、写真家・大山顕氏が言うところの“マンションポエム”風に形容するなら、「特別な家族にだけ歩むことを許された、革新という名の路」といったところか。郊外の造成物件周辺によく見られる、ドリーミーなキラキラネームの類いである。これぞ、「郊外的文化」をもっともバカにするタイプの人間が、経済的理由で「郊外」の一軒家に住まざるを得ない屈辱そのもの。現代日本にも通じる、自称都会人の自尊心問題というやつである。
こうしてエイプリルは「郊外の退屈な専業主婦」になることを余儀なくされるが、「芸術を解する特別な人間」であると承認されたいばかりに、アマチュア女優として市民劇団の舞台に立つ。が、屈辱的な不評を買って、ブライドがズタズタに引き裂かれる。「大学時代から付き合っていた彼と予定外の授かり婚→しかし起業への夢が捨てきれず、子育てが一段落したところで手作りアクセサリーの販売サイトをオープン→月の売り上げがマックス2000円どまり→しかも顧客の大半は、ママ友と学生時代の友人と両親」――。そんな現代的香ばしさを連想させるのは、気のせいか。