【小田嶋隆】江戸川区――俺は女に甘い、と思っているある男の話

東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

(絵/ジダオ)

 東京はあまりにも大きい。

 面積としてはさして広くないが、土地に刻み込まれている単位面積あたりの情報量と、投下されている資本の金額がべらぼうに大きい。それゆえ、東京の人間の郷土意識は、多くの場合、東京の全域をカバーすることができない。たとえば北区の赤羽で生まれた育った人間なら、彼が「地元」として考える範囲は、出生地である北区に、板橋、豊島、文京を加えた半径5キロほどのエリアに限られる。ちなみにこの4区は、1967年から81年まで東京の都立高校を7つの学区に分けていた「学校群制度」が規定するところの「第四学区」に相当する。

 これは、ほかの学区で生まれ育った別の人間のケースでも同じことで、東京の人間が、「地元」として認識する範囲は、人口にしておおむね200万人、広さにして10キロ四方ぐらいまでが限度ということになる。というのも、東京のような人口が稠密な場所では、ひとりの人間が親近感を抱き得る土地の面積が、相対的に小さくなるはずだからだ。

 東京以外の道府県では、江戸時代の「藩」に相当意する範囲が、当地に住む人間の郷土意識の源泉になっているように見える。

 いずれにせよ、「地元」は、行政区分や住民税の支出先とは必ずしも一致しない。ある場合には、鉄道の沿線や、生活用水を運んでくる河川の流域や、名高い山の山頂から眺望できる範囲が、その地域に住む人間の郷土意識を決定づけている。

 他府県から東京に移り住んだ人間の地元意識は、もう少し茫漠としている。というよりも、上京者にとっての東京の「地元」は、通勤のための鉄道の路線に沿って直線的に並んでいるだけだったりする。子ども時代からの交友に由来する人間関係を含まない土地の記憶は、結局のところ、金銭を介した商行為から外に出ない。つまり、外部からやってきた人間は、町に対して、カネを稼いだり使ったりする以外の関係を取り結ぶことができないものなのだ。

 譜久村健二にとっての「地元」は、都内全域に、小豆の粒をばら撒いたみたいな形で散在している。その乱雑さは、彼がこれまでの30年の間に繰り返してきた20回以上の引っ越しに対応している。この間のなりゆきを踏まえていえば、健二にとっての地元が東京全域に散らばっている様子は、むしろ「血痕のように」と表現すべきなのかもしれない。

 住んだ場所、立ち尽くした街路、担当の集金先を持っていた区域、襲撃した隠れ家、夜逃げした住所、同居人を置き去りにしたアパート、それらのいちいちに、時系列を含んだ記憶と悔恨が固着している。そして、引っ越した回数の分だけ、東京は狭くなり、住める場所は限られてきている。東京にはじめて出てきた70年代から現在に至る30年ほどの間に、都心の主だった盛り場は、どこも、胸を張って歩けない場所になっている。いま住んでいる町の路上でも、いつどんなタイミングで旧怨を抱く女や、債権者や、逃亡した組織の相棒に出くわすのかわかったものではない。まったくうんざりする。

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2024.11.21 UP DATE

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