羽生結弦、宇野昌磨、ボーヤン・ジンの「切り開いた世界」を考えてみた/スケオタエッセイスト・高山真が見たフィギュアスケート世界選手権

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、世にあふれる"アイドル"を考察する。超刺激的カルチャー論。

「FujiTV Skating Club」より

 とんでもないものを見ちゃった…。フィギュアスケートの世界選手権、男子の最終グループをテレビで観戦したあと、私は朝まで眠れなくなってしまいました。すべての選手について、書きたいことが山ほどあるのですが、涙を飲んで、3位までの選手について、絞って絞って書いてみたいと思います。

●ボーヤン・ジン
 前回のエッセイで、私は「今シーズン、いい意味でいちばん驚いているのはボーヤン・ジン」と書きました。その理由は、これに尽きます。

「ボーヤン・ジンが、演技を覚えた」

 昨シーズンまでのボーヤン・ジンを「音楽に合わせて体を動かしている」とするなら、今シーズンは「曲の世界観に沿った振り付けをこなし、物語の登場人物を演じている」という感じ。曲がかかっている時間のほとんどで、昨シーズンの段階ではボーヤンの中に存在しなかった「スイッチ」を、ずっとオンにしたままで滑っているのが明確に見て取れたのです。中国杯のショート『スパイダーマン』を見たときは、あまりの驚きにうなってしまったほどです。

 もちろん、そういうことをもっと上手におこなう選手は何人もいます。が、フィギュアスケートに限らず、難しいことを身につけるときは何だっていつだってそうですが、「5を10にする」よりも「0を1にする」ほうがはるかに難しい。「0を1にする」感覚をものにしたボーヤンが、ここからますます伸びていくかと思うと、本当に楽しみです。

 そうそう、フリーの4回転ルッツ! 空中での高さと幅、回転の軸の確かさ、着氷後のストレスのない流れ、どれをとっても歴代ナンバーワンの凄まじいものでした。思わず変な声が出てしまったほどです。

●宇野昌磨
 去年の世界選手権のフリーで、宇野昌磨がプログラムに組み入れていた4回転は、2つのトゥループでした。今回の世界選手権のフリーでは、それに加え、より難易度の高いフリップとループを1度ずつ、合計4つの4回転を入れて、すべて成功。この成長のスピードはちょっとありえないくらい、すごい。

 しかも、トゥループは言うに及ばず、四大陸選手権から組み入れたループですら、明確なステップからジャンプに入るという、難しいことにチャレンジしているわけです。

 ループとフリップの着氷は、ややこらえた形になりましたが、それも、「腕の広げ方」と「体幹の引き締め方」と「ひざの強靭かつ柔軟なクッション」、その3つを瞬間的にブレンドすることでカバーしていました。その反応の速さも素晴らしい! あそこでステップアウトしなかった「強さ」は特筆すべきものだと思います。

 加えて、トリプルアクセルのクオリティの飛躍的な向上にも驚くばかり。ショートプログラムで、インサイドのイーグルからただちに跳んだ、目が覚めるほどの高さと大きさのアクセルは、着氷後すぐにクリムキンイーグルへとつなげる一連の流れまでも見事! フリーの2本のトリプルアクセルは、どちらもコンビネーション(またはシークエンス)の1つ目として跳んだジャンプですが、どちらもまったくストレスのない見事な着氷で、あとに続けたジャンプも非の打ちどころのないものでした。

 昨年10月のスケートアメリカのことを書いたとき、私は宇野について、こんなことを書いています。

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「ブエノスアイレス午前零時」や「ロコへのバラード」は、「リベルタンゴ」や「アディオス・ノニーノ」以上に「踊り」に主眼を置いていない曲です。語弊を恐れずに言えば、ホールやジャズクラブなどで聴くためのタンゴであって、踊るためのタンゴではない。その曲をバックに、10代の選手が、あれだけの世界観を身体で表現していくのですから驚くばかり。曲のいちばんの「踊りどころ」でステップシークエンスに入るのですが、上体の動きの精緻さと、音符ひとつひとつにエッジワークをからめていく見事さには、思わずため息がもれてしまいました。
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 今回も健在だったそのミュージカリティですが、それに加え、スケーティングの一歩一歩が、10月のスケートアメリカと比べてもはっきりわかるほど大きくなっていたことにビックリ。それが、プログラム全体にさらなる成熟を加味していました。宇野昌磨はまだ19歳。ほんと、どうなっているんでしょうね(いい意味で)。

●羽生結弦
 完璧…。

 男子フリーの最終グループは、最初の選手が羽生結弦でした。で、羽生の演技が終わるちょっと前あたりで、私は「今夜はもう眠ることをあきらめよう」と早々に決めてしまったのです。

 フリーに4回組み入れた4回転ジャンプが成功したこと自体は、たぶんさまざまなテレビや新聞などで語りつくされているでしょうから、私は違う角度から語ってみようかと。

 前回のエッセイで、私は羽生結弦について、こんなことを書きました。

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「イン・アウト」と「フォア・バック」のエッジを組み合わせて、「右足・左足」のどちらか片方の足で滑っていく、この8種類の組み合わせの密度がとんでもない選手だなあ、と、羽生結弦の演技を見るたびに思います。「プログラム全編にわたって、なんらかのステップを踏み続けている」というのが、大げさな表現ではないのです。
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 で、羽生のショートプログラムのツボを書いたのですが、今回は、フリーに関しての「私のツボ」を書いてみたいと思います。わかりやすくするため、エレメンツの実施順に記していきましょう(物書きとしての力不足を棚上げ。ほほほ)。

●スタート時、音楽が鳴り始めて7~8秒後あたり。ターンからフォア(前向き)になった瞬間。左足・フォアのインサイドエッジで美しいカーブを描きつつ、右足は「スライド」している。要するに、左右の足でまったく違うことをやっているわけです。

「スライド」は、女子選手がスパイラルを実施中におこなっているのが、例としてはわかりやすいかも。伊藤みどりのアルベールビルシーズンのショートプログラムでのスパイラルや、浅田真央の2005年グランプリファイナルのフリーのI字スパイラルなど。エフゲニア・メドベージェワのI字スパイラルの定番でもありますね。

●4回転ループの直前、本来のエントランスのトレースを裏切るかのように、左足を体の内側に(というか、ほとんど体の右端まで)アウトエッジでグッと踏み込んでから、右足バックアウトエッジに踏みかえ、ジャンプを跳んでいる。

●4回転ループの着氷後、フォア(前向き)のエッジで大きなカーブを描き、ターンをはさんでバック(後ろ向き)のエッジになってから。

左足のバックエッジを、インからアウトへと、スムーズにチェンジエッジさせてから、なめらかな右足のバックインに一瞬だけ踏み替え。さらに、すぐに左足に踏み替えたあとフォアエッジに切り替えて、即座にフォアのアウトからインへとチェンジエッジさせている。3秒足らずのトランジションの中に、これだけのエッジの切り替えと足の踏みかえが非常にスムーズにおこなわれている。で、一歩一歩の距離の出方もとんでもない。

●単独の4回転サルコーに入るまでの、トランジションの距離の長さ!

●ステップシークエンスは見どころが多すぎるのですが、絞りに絞って、2カ所だけ。
【1】「上体の動きにバラエティをつけること」は、レベルをとるための条件のひとつですが、その要求を「ひざを曲げたイーグル(ベスティスクワットイーグル)」で満たせる。このイーグルの前後にも、まったく隙間なくステップが入っているのに…。
【2】「片足で種類の異なるステップを踏み続けていくこと」も、レベルをとるための条件のひとつなのですが、よりにもよって(笑)、それを「インサイドのイナバウアー」と「インサイドのイーグル」、2つのムーブズ・イン・ザ・フィールドの中にサンドイッチしている。

●トリプルフリップの前後のステップの見事さ。ジャンプ自体も、「ターンの一部」のようなエアリー感で実施されている。

●リンクの横幅をほぼいっぱいに使った、4回転のトゥループのエントランスのステップ。

●トリプルアクセルのための漕ぎが、ますます少なくなっている。かつ、2回目のトリプルアクセルは、時計回りのターン(羽生の本来の回転方向とは逆の回転になります。ジャンプの回転の勢いを、跳ぶ前にガッツリ削っているわけです)を入れたあとで跳び、トリプルサルコウまでのシークエンスを跳ぶ。この、何度見ても意味がわからない一連のムーブは、去年のフリー『SEIMEI』でもおこなっていましたが、今回は、サルコウの着氷後にイーグルを入れて、さらにブラッシュアップされたトランジションになっている。

●コレオシークエンスから、絞って絞って、1カ所。ハイドロブレーディングは、昨シーズンの『SEIMEI』でも素晴らしいインパクトを残していますが、今シーズンは、直前にターンを入れてから実施している。で、ハイドロブレーディングが終わった直後の一歩目、左足のフォアアウトエッジが、昨シーズンより深く明確になっている。そのあと、ターンに入るまでの時間が昨シーズンよりさらに短くなったうえ、イーグルまでプラスされている。

●最後のジャンプのトリプルルッツが、レイバックイナバウアーから続くステップの中で実施されている。

 で、ショートプログラムと同様、クオリティも密度も高いこうしたエッジワークのほとんどが、4分30秒の間シームレスに実施され、かつ、曲の音符とぴったりとリンクし、フリーの曲『Hope & Legacy』の雰囲気そのものである「ドラマティックなのに、静謐」なイメージともリンクしているわけです。眼福でした。

 さて、メディアはもう、来年の平昌オリンピックのことをあれこれ言っていることでしょう。私ももちろん楽しみで仕方がないのですが、その前に、選手にこれ以上のケガがありませんように、と切に願っています。

「宮原知子、疲労骨折により欠場」のニュースにはまだ胸が痛んでいますし、羽生結弦も昨年の今ごろ、全治2カ月の靭帯損傷を抱えていました。宇野昌磨も、今シーズンの驚異的な伸びを喜ぶ気持ちはもちろんありますが、それでも、昨年終盤からの試合スケジュールは過密すぎる。もっと言ってしまえば、残酷すぎると私は思っています。選手たちが自分の限界を超えたくて無茶をしてしまうのは、アスリートの常でもあるから仕方がない部分もある。だからこそ、スケート連盟が、コーチたちと密接に連携をとりつつ、万全のバックアップをしてあげてほしい。それが、平昌オリンピックでの選手たちの順位や出来栄え以上に、私が望んでいることなのです。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』(小学館)で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。月刊文芸誌『小説すばる』(集英社)でも連載中。

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