本条たたみが選ぶ 渾身のヒトコマはこれだ!
本条氏の作品『ナスティナース!』より、「抗生物質が無いなら ちんぽを代用できないかな(ばーん)」で登場する“ペニ尻 in”!(※ペニシリンとかけてます)
昨年末にも開催された恒例のコミケにも出展し、同人誌界隈では知らぬ人間は存在しないほどのセンス、そして画力を誇る本条たたみ氏。普段は会社に勤務しつつ、仕事が終わればペンを片手にしこしことエロマンガ制作に勤しむという、四六時中仕事の鬼のような気鋭のマンガ家だ。
そんな多忙がたたってか(たたみだけに)、本誌マンガ特集に参戦するはずが、惜しくも仕事に忙殺されていたため断念。そこで、サイゾープレミア独占で、読者のみなさんにたたみ先生が描く恍惚のエロの世界をお届けしたいと思う。
「もともと絵を描くことに興味を持ち始めたのが、性的魅力に満ちた女性を描くためだったというところがあり、動的な展開をつけようと思ったら必然的にエロマンガを描いていた、というのがきっかけでした」
昨年の本誌のマンガ特集で「現在、商業誌でマンガを描くことだけが、マンガ家のステータスではない」と、エロマンガ家三銃士(中西やすひろ/遠山光/みやすのんきの3氏)が語っているが、同人誌の舞台を主戦場とする本条氏は、次のような見解を持っている。
「常に商業レベルの水準であり、限られた期間内で作品を描く商業作家の先生方は、自分のようなマンガ描きとは一線を画す存在だと思っています。
その一方で、ご存じのように昨今は自分の作品を世の中に出す際に“商業誌での連載”というスタイルを取らずとも、やり方によってはそう変わらない多くの方の目に止まるような作品を個人的に発表する場も増えてきていますよね。毎回決められた制限がありながら描かれている作品の横で、アイディアがひらめくたびに荒削りながら発表していった数多の作品の中で一番当たった作品が並んでいる状況だと思うので、商業連載がステータスではない、というよりは商業連載がステータスであることが伝わりにくい、というのが昨今の状況なのではないかと」
なんてジェントルな風を吹かせるマンガ家なのだろうか。しかし、そんなジェントルさとは裏腹に、本条氏が描くマンガは、とてもエロい。そしてなにより、登場するキャラが立っている。さらに、エロマンガの至宝ともいわれる“ルビ”さえ圧倒するセンスが、1コマ1コマにあふれ出ている。そのアイデアの源とはいったい何なのか? 取材前の話では、「実は、成年向けマンガから影響を受けたということは、あまりないんです」と答えていたが……?
「さ、最初に言い訳を……! 前提として、後述します自分の作風は活動の場が商業なら編集さんにぶん殴られても文句は言えないような作風をしておりまして、作風として影響を受けたか、と言われると成年向けマンガから受けた影響はあまりないような……? というニュアンスです! 1コマ1コマにおけるムラっとくるような表現であったりとか、マンガ的な迫力が出るコマ割りであったりとか、単純にエロマンガを描く上での影響という意味であれば、数多あるエロマンガの名著から、もちろん人並み、いや、人並み以上に影響を受けております。
自分の作風は、いわゆる“言葉遊び”をふんだんに取り入れた台詞回しが多いことが特徴となっていまして、そういった日本語で遊んだ時の面白さという物に気づかせてもらったのは……ということで不遜ながら挙げさせていただくならば、ラーメンズさんの作品だったり、西尾維新先生の作品だったり……ということになります。
ラーメンズさんの作品だと“おもてなし”は〈表なし=裏がある〉というようなアプローチに感銘を受け、転じて“占い”は〈裏ない=裏がない〉 ということは良心だけで言ってるのかなーですとか、そういう遊び方を覚えました。
西尾維新先生は言葉遊びのプロフェッショナルなので、影響を受けたところとなると枚挙にいとまがないのですが、中でも個人的に衝撃を受けたのは言葉をビジュアルで遊ばれていた点です。一番有名どころで挙げますと、西尾維新先生のペンネームをローマ字表記で〈NISIOISIN〉と書くと、逆から読んでも西尾維新、それにとどまらず図形として見た時に点対称であるといった例があります。出来上がった物を見ちゃうと、ああまあそうだね、となってしまうかもしれませんが、まず文字を点対称かどうかで見る発想というものが自分にはまったくなく、初めて知ったときは衝撃を受けました」
謙遜しながらも、エロとユーモアの親和性の高さを知り得た人物だからこそ、非常に説得力のある発言だ。現在発売中の最新号でインタビューをしたチンズリーナ氏の、「ウンチの穴」に対しての思い入れ、そして力強さに似通うものがある。本条氏もマンガを描く上で、誰にも譲れない思い入れがあるという。
「それは、尻です。尻をもっとも大切に描いています。間違いありません。それと、真面目な話になってしまい恐縮ですが、描いてる自分が楽しむこと、読んだ人を不快にさせないことです。これは商業作家ではないからかもしれません。自分が好きでやっていることなのでまず自分が楽しむ。読んでくださった方を楽しませたいという部分は最低限に留まり、必要以上に重きを置いていません。自分が楽しいという感情でいたいので、人がどう受け取るかの部分であまり苦悩したくないからです。もちろん、どうしたらよく見えるようになるんだろう、と考えることもありますが、それは人のためというよりは、自分がそういった設問に対して臨むのが楽しいから、という場合が多いです。その一方で読んでくださった方を不必要に不快にさせないように心がけています。自分が楽しむ中で人を不快にさせるのはやはり少し違うかなーと。なので、これらのことが自分自身で楽しめている状況さえ守られていれば、それに越したことはないですね。」
本条氏は、実際の奥方である奥村ひのき先生と、サークル〈WASABI〉として活動しているが、「エロマンガに関して言えば、自分が描く係で、それを傍目に彼女は呆れる係といったところです」と自嘲する。そんな感性の持ち主に、本誌がこれまでのマンガ特集で取り上げてきた〈劇画調エロマンガ〉に対しては、どのような意見を持っているか聞いてみた。
「まず、絵の描き込み量がすごい。また、デッサンも整っている印象があります。その半面、これは主観になるのですが、劇画調の作品って台詞はあえぎ声が少なく入ってるだけ、という作品が多いような気がします。絵の緻密さに対して行為中の台詞はあっさりと申しますか。でもこれって、厳密には時代そのものが変わったっていうより、エロマンガという文化が若い人たちのものになってきたことによる変化だと思うんです。一昔前はエロマンガはこっそり読むおっさんたちだけの読みものだったと思うのですが、若い人たちに見つかってしまった。エロに抵抗がない若い人たちにエロマンガが浸透し、それにともなって少ないあえぎ声などの表現から妄想する楽しみ方より、行為中に実況してるような台詞を直接的に楽しむ、そしてそれにあった画風が主流になってきたのではないかなーと。
自分がおっさんになってきたことで劇画調のエロマンガを昔以上にエロく感じるようなったこともあり、そんなふうに考えています」
ここでもジェントルな意見を放つ本条氏。最後に、「うまいこと言ってんじゃねええええええ!!」とキレそうにもなるという、エロマンガ界の定番“ルビ”への思いを尋ねる。
「自分が読んでいるときは、エロマンガをエロい読みものとして読みたいので、気が散るルビ使いされるとキレそうになりますね! 自分も普段同じことやっているので身勝手甚だしいのですが……あれだけ言ってたのに自分も読んだ方を不快にさせてるかもしれないですね(笑)。
うまいとはちょっと違うかもしれませんが、今ではよく見かけるし、もはや珍しくもなんともない『射精(だ)すぞ!』という表現。こちらは噛みしめるとすごく面白いです。すごい身勝手な読み方じゃないですか? でも気持ちが詰まってるなあって……」
本条たたみ(ほんじょう・たたみ)
「将来、私は何になるか」という問いに対し、「デュエリストかプロ雀士か絵を描く人になろう」という結論のもと、それらすべてをちょっとずつ嗜むマンガ家。〈WASABI〉なるサークルで活動し、相方の奥村ひのき先生とタッグを組み、エロマンガ界のきら星のごとく活躍している。
http://wasabi.in.coocan.jp