【哲学入門】〈他者〉はなぜ〈他者〉なのか? 哲学の重要な問いについて考える

(写真/永峰拓也)

『全体性と無限』

エマニュエル・レヴィナス(熊野純彦・訳)/岩波文庫(05年)/1080円(上)・1010円(下)
20世紀を代表するフランス人哲学者のひとり、レヴィナスの主著。ユダヤ人としてナチスが引き起こした圧倒的な暴力を目の当たりにし、それを生き延びたレヴィナスが〈全体性〉を超越する〈他者〉の概念を倫理的に追求、思考する。

『全体性と無限』より引用
世界の組織のなかでは〈他者〉はほとんど無に等しい。それでも〈他者〉が私に闘いをいどむことができる、言い換えるなら〈他者〉を打つ力に対抗することが可能であるのは、〈他者〉の反応が予見不可能であるからにほかならない。〈他者〉が私に対置するのは、だからより大きな力――計量可能で、したがって全体の一部をなすかのように現前するエネルギー――ではない。全体との関係において、〈他者〉の存在が超越していることそのものである。〈他者〉が対置するのはどのような意味でも最上級の権力ではなく、まさに〈他者〉の超越という無限なものである。この無限なものは殺人よりも強いのであって、〈他者〉の顔としてすでに私達に抵抗している。この無限なものが〈他者〉の顔であり本源的な表出であって、「あなたは殺してはならない」という最初の言葉なのである。

 現代の哲学において「他者」の問題はひじょうに重視されてきました。ここでいう「他者」とは自分と異なるすべての人のことです。その「自分と異なる」ということをいかに尊重しながら他者に向き合えるか、というのが他者の問題における中心的なテーマでした。哲学の世界では、他者が自分と異なるという点を強調して「他者の他者性」などといったりもします。

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