――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
世の中には2種類の女性がいる。新海誠作品を許せる女性と、新海誠作品に「キモい」「マジ無理」と吐き捨てる女性だ。今回は後者のオトメゴコロについて考えたい。
“ポスト宮崎駿”として、細田守と並んでたびたび名前の挙がる新海誠は、8月に新作『君の名は。』の公開が控える気鋭のアニメーション作家。「少年少女の超ピュアな恋物語」を描かせれば当代一のマエストロだが、なかでも07年の監督作『秒速5センチメートル』は格別だ。
同作は、それまでの新海作品に取り入れられていたSF色を排した、完全・純粋なボーイ・ミーツ・ガールもの。東京の小学校で両想いだった遠野貴樹と篠原明里が互いの転校で離れ離れになり、それぞれ成長していく過程を、3本の短編連作によって描く。
本作を「ベスト・オブ・新海作品」として珠玉の一本に挙げる、いい年こいたナイーブ男子は数多い。彼らは高確率で童貞、もしくは長期間交際が途絶えているセカンド童貞だが、なぜ本作を愛してやまないかといえば――認めたくないだろうが――「小学校時代の初恋の人と結ばれたい願望」と「交際経験に乏しい現状の自己弁護」が、最高に美しい自己陶酔とともに描かれているからだ。