【ANARCHY】故郷へ帰る――「ラップがなければ今はない」離れた土地から京都を想う<後編>

前編は<コチラ>から

――今や京都を代表するアーティストとして名を馳せるようになったラッパー、ANARCHY。そんな彼は京都府伏見区の南に位置する集合団地〈向島ニュータウン〉出身としてデビューを飾った。1977年から入居が開始されたその団地は、いわゆる一般的な集合住宅ではなく、低所得者層や在日外国人、ヤクザなどが多数居住してきた団地で、隣接するシンナー工場に勤務する住人が薬物中毒に陥ったことから、過去には別名“シンナー団地”とも呼ばれたほど。本稿では、そこで生まれ育ったANARCHYに現地取材を試み、“ゲットー・スーパースター”を誕生させた“団地の夢”をルポルタージュする。

(写真/cherry chill will)

 ANARCHYが活動の拠点を東京に移し、京都を離れてから約5年が経つ。活動のフィールドを飛躍的に拡大する彼だが、久しぶりに訪れた向島団地は、その目にどう映ったのか。

「そう言われても……実はあんまりピンとこないんですよね、やっぱり。家族みたいなやつらがいっぱいいる感じなので、向島に帰ること=家に帰ってきたみたいで。さっき『ケンタ、帰ってきたん?』って声をかけてきたお姉ちゃんとかも、俺がちっちゃいときからずっと知ってる人だし、『あー、まだこの団地にいるんや』みたいな人ばっかりだから、全然変わらないんですよ」

 そう話す通り、取材中、都心では考えられないような建物全体が家族なのだと実感させられる光景がしばしば見られた。思い返せば、筆者も10年前に経験した記憶と重なる。ともすれば、ANARCHY自身には、本当に変わらないいつも通りの風景なのかもしれない。その声の中には、「丸(く)なったな」という女性住民の声もあった。

「30半ばで、頭の色が緑のやつ見て『丸なったな』って……あの姉ちゃんもまあまあ変なこと言ってますよね。この状態見て丸なったって、昔の俺はどんなんやったんって。ツラいですわ(笑)」

 だが、変わらないことばかりではない。“丸くなった”かどうかはさておき、この団地にも現実の波は押し寄せている。

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