【マイ・インターン】情けない旦那よりも年上メンターに依存してしまうバリキャリ女性の病

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

『マイ・インターン』

「紙は燃えない」とは、お笑い評論家にして筆者の盟友・ラリー遠田氏の名言だ。その心は、「ネットの記事はすぐ炎上するが、雑誌や書籍はなかなか炎上しない」。そんな目論見もあり、今月よりWEBの「サイゾーpremium」から本誌に引っ越してきた。今まで以上にポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)に配慮することなく、各種フィクションから女子の思想・生態・行動様式をあげつらい……ではなく学んでいきたい。

 というわけで、記念すべき紙上での初回は映画『マイ・インターン』。映画業界的にカテゴライズするなら、いわゆる「女子がお仕事頑張る系映画」だ。果たして興行側の狙い通り、本作は都市部で働く20~30代女性にクリティカルヒットした。

※本文中にはネタバレがあります。

 主人公は、ファッション通販サイト会社の女社長ジュールズ(アン・ハサウェイ)。30代、既婚、専業主夫のイクメン旦那と息子あり。かつて独力で起業し、現在では200人の社員を率いる「高スペック・バリキャリ・頑張る系女子」のスタープレイヤー的存在だ。そんな彼女の元に、電話帳会社を退職した70歳のベン(ロバート・デ・ニーロ)が、インターンとしてやってくる。

 本作には“都会で働くアラサー/アラフォー女性”の大好物案件が、幕の内弁当級にぎっしり詰め込まれている。「仕事上の自己実現vs家庭」問題、夫婦役割分担問題、ママ友との付き合い問題、キャリアウーマン無理ゲー問題、新興ネット企業ブラック問題、有能女上司めんどくさい問題……。彼女がこれら諸案件の当事者となり、ああだこうだあって一応のハッピーエンドを迎えるのが物語の基本ラインだ。

 劇中のジュールズは、キラキラした魅力的なキャリアウーマンとして描かれている。周囲への芝居じみた元気や、貼りついた笑顔の押し付けが鼻につく描写はあるものの、基本的には知的で快活なヒロインだ。最初はギクシャクしていたベンとの関係も、みるみる良くなっていく。

 ところが物語後半、男性諸氏はこの「高スペック・バリキャリ・頑張る系女子」最大の暗部に戦慄することになる。きっかけはジュールズの夫、マットの浮気だ。

 マットはジュールズが社長業に専念できるよう、キャリアを諦めて家庭に入った、専業主夫である。しかし仕事中毒のジュールズが家にも仕事を持ち込むので、セックスもスキンシップもなおざり状態。彼女はスマホを見ながら生返事、寝床にもノートPCを持ち込んでくる。マットは寂しさから、ジュールズのママ友と関係を持ってしまう。

 ややあって浮気は発覚するが、ジュールズは最終的にマットの浮気を許す。経済力も美貌もある実力派の起業家なのだから、いっそマットを捨てて離婚してしまえば観客としては胸もすくところ、そうはしない。彼女が泣きながら口にしたその理由は、「ひとりでお墓に入るのが嫌だから」。彼女が夫に求めるのは、人生のラストだけなのだ。

 人生を登山にたとえるなら、「高スペック・バリキャリ・頑張る系女子」には、単独でエベレスト登頂にアタックできるくらいの強靭な筋肉がついている。彼女たちにとっては、ザイルでつながれて一緒に登山するパートナーなんぞ足手まといなだけ。ひ弱な同行者の滑落に巻き込まれたくはないからだ。

 一流のクライマーたる彼女たちが求めるのは、物理的なアシストではなく、登山の崇高なる喜びを再確認させてくれる山の神々しさ。自分と同等もしくは劣る筋力しか持たないパートナーに、そんなたいそうな役割は担えない。担えるのは、すべてを知り尽くした人生の先達たるメンター(指導者、助言者)だけである。

 劇中におけるジュールズのメンターがベンだ。ジュールズはベンの、特にひねりのない人生訓や執事のように古式ゆかしい気配りに癒やされ、明日への活力を充電する。人生の「上がり」直前で境地に達している神々しきベンは、ジュールズを決してイラつかせない、迷わせない。神の光に包まれた彼女は、今までにも増して単独頂上アタックに意欲を燃やす。

 だから、ラストでも彼女は今までどおり仕事中毒のまま。マットとのスキンシップの時間を増やそうなんて、これっぽっちも考えていない。自分のわがままを通すのが、マットの浮気を不問にすることとバーターになっている。

 ジュールズのように有能な女性たちがパートナーに与えるポジションは、いわば下山後の茶飲み友達だ。人生という名の単独登山を存分に満喫した後の、退屈と孤独を埋めるパーツとしての「一緒にお墓に入る相手」である。

 ここで、今年4月に山下智久主演でドラマ化もされた、ダニエル・キイスのSF小説『アルジャーノンに花束を』から、ひとつのセリフを引こう。脳手術によってどんどん知能が上がっていく主人公チャーリイは、女性教師アリスに恋をする。が、アリスはチャーリイに向かってこんなことを言う。

「もしあなたが知能的に成熟したら、あたしたち、おたがいに意思の疎通ができなくなるわ。情緒的に成熟したら、あたしを必要とさえしなくなるわ」

 貴殿が「知能的・情緒的に成熟した女子」との交際をはじめる際には、十分にご注意いただきたい。もしザイルでつなごうとして「お互い自己責任で登ろ(ハート)」などと拒否されたら要注意だ。彼女の最大の関心は、頂上に鎮座して山を統べる神々しきイデアであって、彼女のすぐ後ろを息も絶え絶えに情けなく登攀しているあなたではないのだから。男性諸氏としては、そんな単独登山推奨映画を、20~30代女性の多くが支持した事実に、大いなる危惧を抱くべきであろう。

 ところで、ちょっと考えてみてほしい。もしこの物語の男女が逆転していたらどうなるか。ジュールズが夫でマットが妻だったら……ジュールズのふるまいは絶対に許されない。まさしく、ポリティカル・コレクトネス的に。

 夫の自己実現のため、有能なキャリアウーマンだった妻は専業主婦になる。仕事中毒の旦那のせいでセックスレス。ほったらかされた妻は、寂しさから夫の友人と情事。夫はそれを知るも、「ひとりで墓に入りたくないから」という理由で離婚せず、その後も妻を家庭と育児に縛りつける。しかも今までどおり社長業は続け、自己実現の野心は一歩も譲らない。完全に炎上案件だ。

 さらに、夫のHP回復所は自宅ではない。心の拠り所はパートナーの妻ではなく、母親ほども年の離れたメンターの女性だ。決して叱責せず、優しく包み込み、君は頑張ってるわと認め、癒やし、泥酔したら優しく介抱してくれるママのような存在。一言、そんな夫はキモい。

 とはいえ、この点に男が異議申し立てをしたところで、徒労に終わるだけだ。「男女では、歴史的・社会的に与えられている責務がそもそも異なる」とかなんとか主張するジェンダー勢力との果てしない消耗戦を、延々続ける覚悟があるなら別だが、おすすめはしない。

 よって、単独登山好きの女性をパートナーにしてしまった男性にできることと言えば、彼女の目を盗んで自分と彼女の体をザイルでつないでおくか、彼女より先に下山して縁側で茶をすすりながら待つくらいしかない。

 むろん縁側の場合、隣には彼女の“ママ友”が座っているわけだが。

『マイ・インターン』
2015年・米、監督:ナンシー・マイヤーズ。同じくアン・ハサウェイがヒロインを演じた9年前のヒット作『プラダを着た悪魔』(06年公開)の“続編”という見立ても可能。『プラダ~』で初々しい新米編集者だった彼女が、9年の間に起業・結婚して今回に至った……と脳内補完すると、色々と涙を禁じ得ない。

稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリー。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)など。出版社時代の編集担当書籍に『団地団 ~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』(ラリー遠田:責任編集)がある。

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