――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
『あなたのことはそれほど 3』 (フィールコミックス)
今回は、自己中に不倫に突き進む女と、なんとなくそれを受け入れてしまう男のW不倫を描いたマンガ『あなたのことはそれほど』をピックアップ!
※本文中にはネタバレがあります。
データ漏えいを恐れて自殺者も出た不倫マッチングサイト「アシュレイ・マディソン」(男性登録者3100万人)の例を出すまでもなく、「不倫」には国家・人種を超えた麻薬的な魅力があるようだ。
そんななか、我が国が誇るW不倫マンガ、待望の最新刊が10月に発売された。既刊3巻(以下続巻)で累計35万部突破、いくえみ綾の『あなたのことはそれほど』である。掲載誌は女性向けの『FEEL YOUNG』(ともに祥伝社)。しかし男も読める、否、男も読むべき問題作だ。未婚男性も既婚男性も、職場の同僚やマンションのパパ友と、輪読会で議論を交わすのに格好のテキスト。今まで育んできた女性観の棚卸し作業に、ぜひ勤しんでいただきたい。
大事なことなので先に言っておこう。男性諸氏がこのマンガで学ぶべきは、不倫の仕方や妻の不倫を防ぐ方法ではない。ズバリ、男と女が結婚相手を決める根拠の決定的な差である。本書は「不倫」という行為について綴りながら、4人の夫婦がそもそもなぜ現在の配偶者をセレクトしたのかを、残酷にあぶり出す物語である。
主要登場人物は2組の夫婦だ。まず、ヒロインの三好美都(みよし・みつ)29歳と渡辺涼太の夫婦(子どもなし)。そして美都の不倫相手である有島光軌(ありしま・こうき)と戸川麗華の夫婦(作中で第一子誕生)。このうち、美都と光軌が不貞を働く。
病院の受付事務員である美都は、とりたてて特徴もないが、そこそこの美人。ある時、小中学校時代に片思いだった同級生の光軌と偶然再会し、不倫の泥沼にズブズブと足を埋めていく。
その光軌はいわゆるイケメンのモテ男。学生時代から女性関係であまり苦労したことはない。それゆえ、もともと美都には取り立てて思い入れもない。しかし美都からのアプローチに応じ、素直に据え膳を食った。
次に、それぞれの配偶者を見てみよう。美都の夫、涼太はインテリア関係の会社の総務職、35歳。生真面目で穏やか、几帳面で料理が得意な男。「安パイ」という言葉の似合う、無難な善人そのものである。
問題は光軌の妻、麗華である。彼女は「地味でパッとしない容姿の女性」として描かれている。高校時代は光軌と同じクラスで委員長。表情は固く、愛想がなく、男子に人気があるとは言いがたい。もちろん男っ気はゼロ。父親が失業して家出中の貧困家庭に育っており、常に物事を冷静に見ている。しかし内なる情念はすさまじく、一昔前のストーカー女的な雰囲気を持っている。
冒頭で提起したように、ここで考えるべきは、なぜ美都と涼太、光軌と麗華が結婚したかということだ(特に男性読者は、なぜ光軌が麗華を選んだのか理解に苦しむだろう)。結論から言えば、女は「タイミング」で結婚を決意し、男は「ステータス」で結婚を決意する。だからこそ、この2組の夫婦は夫婦たりえた。
イケメンがブスと結婚した理由
美都は病院に患者として往診に来た涼太と“なんとなく”交際し、“唐突に”結婚する。もともと涼太のような男がタイプだったわけではない。昔好きだった光軌とは正反対のタイプだ。涼太とドラマチックな恋の駆け引きはない。美都の友人の言葉を借りるなら「とりあえずいい物件見つけて急いで買ったみたい」というやつだ。
仕事に自己実現を図っているわけではない。打ち込める趣味があるわけでもない。そんな美都がアラサーに差し掛かり、そろそろ相手いないかなあと思っていたら、手頃な物件が現れた。ため息が出るほどの輝きはないけれど、気になる瑕疵も特にない。エキナカのユニクロに積まれているフリースのごとき、「今夜寒そうだし、一着買っとこ」的なアレだ。陳列が視界に入ってから会計までの所要時間2分、というやつである。
麗華の場合は高校時代まで遡る。恋愛沙汰などまったく縁遠かった彼女だが、クラスメートの光軌がなにげなく下の名前の「麗華」と呼んだことで、突然スイッチが入ったのだ。不気味なほど積極的になった麗華は光軌に猛接近。卒業後すぐに付き合いだし、現在に至る。こちらは例えるなら、ユニクロ専門の残念女性が、会社帰りにショウウインドーで見かけたエルメスのコート(50万円)に魅了されて、その場で衝動買いしたようなものだ。
美都も麗華も、綿密に戦略を立てて相手を探したわけではない。その瞬間の自分の心境、心のありようにジャストフィットする相手が、目の前にたまたま現れたので素早くハントしたにすぎない。1カ月前や1カ月後にまったく同じシチュエーションが訪れたとしても、ハントしたかどうかは怪しい。彼女たちの伴侶選びの根拠は「タイミング」なのだ。
一方の男性陣はどうだろう。涼太は美都の誕生日に「僕と結婚してくれてありがとう」と言う。彼が美都を選んだ理由は、美都の見てくれが良く、隣にいれば自分を引き上げてくれる女性だからだ。涼太は自分が男性としては野暮ったい人間であり、仕事上でもプライベートでもキラキラ輝いていないことを知っている。だからこそ、美都というキャワイイ美人妻を持つことで、彼の自尊心は満たされるのだ。
「自分はこんな綺麗な女を妻にできるだけの男である」という自負こそが、涼太の幸福だ。彼にとって重要なのは、「綺麗な奥さんとの結婚生活」であって、美都が自分を本当に愛しているかどうかではない。だから涼太は美都の不倫が発覚しても別れようとしない。不義よりも結婚生活を失うことのほうが、彼にとっては不快なのだ。
他方で、光軌の結婚理由については、考察のしがいがある。イケメンのモテ男が、なぜ不美人で地味でストーカー気味の面倒な女である麗華と付き合い、結婚し、子どもまで作ったのか。そのヒントは、光軌の妹のセリフにあった。
妹「ああゆう人(麗華)がもし彼女だったらさ、あたし少しは兄(にい)のこと見直す」
光軌「な、なんで?」
妹「本気で選んできたなって気がする……から?」
ここには「あえてブスと付き合うリア充のイケメンは、なぜか尊敬される」の法則が働いている。モテ男である光軌とて誰かから、ひとかどの人間として尊敬されたい。そんななか、異性で唯一、恋愛感情や打算なしで自分を客観評価してくれるのが妹というわけだ。その妹の出した「高評価」が決め手となって、光軌は麗華と付き合った。麗華と付き合うことで、ひとかどの人間になれると思ったからだ。目的は麗華への愛ではなく自己愛である。それゆえ驚くべきことに、光軌が麗華に「惚れている」描写は作中にまったく見られない。
涼太も光軌も、結婚することで自分の「ステータス」が上がるような相手を選んだ。ここで言うステータスとは、RPGにおける能力値のようなもの。LV、HP、MP、所持金など、定量的に示される複数パラメータの総合力である。
涼太と光軌に「相手が好きで好きでたまらないから、添い遂げたいと思った」という感情は存在しない。自分の経験値を上げてくれる相手に目をつけ、結婚というプロジェクトに「取り組んだ」にすぎない。
そんなバカな、結婚相手は『ドラクエ』のメタルスライムじゃねえぞと言うなかれ。世の中は、そういうことであふれている。「助手席に乗せる女のグレードと車の値段は比例する」とは一体どういう意味なのか。なぜ「悪妻は男を成長させる」などという謂があるのか。「付き合ってる女で男の度量がわかるよね」と、口の悪い(男性ではなく)女性が発言するのはなぜなのか。
男は体裁を気にする、世間体を気にする。格好つける。それらが可視化された数値が「ステータス」だ。多くの男の人生目標はステータスアップであり、その「ステータス」の中に妻のスペックも含まれているのは自明。彼らは死ぬ瞬間までステータス向上に務める。人から尊敬されたいと願い続けて死ぬ(クリアした『ドラクエ』のレベル上げに延々執心する男性には特にその素質があるので、女性は注意されたい)。
「子はかすがい」の意味
まとめよう。女はタイミングで相手を選ぶ。ゆえに選んだ後に心境が変わったら、別の男を選び直したくなる。夫が結婚当初と何一つ変わっていなくても、関係ない。だから不倫された配偶者は理解できない。「俺の何が悪かったんだ? 俺は結婚当初から何も変わってない」。いや、貴殿は悪くない。変わったのは妻の心境だ。それだけだ。あんたは悪くない。天を呪え。
男は、彼女が妻になることで自分のステータスがどれだけ上がるか(下がらないか)に納得できたら結婚する。結婚というイベントによって、いくら経験値がもらえて、どれだけ友達から拍手されるのかが、男の最大の関心事だ。だから妻が不倫しようが裏切ろうが、結婚生活は守りたい。作中の涼太もそういう行動を取る。もちろん、美都はそれを理解できない。
作中、妻の不倫を知った涼太は子連れの光軌に「子はかすがいと言いますが、実際のところはどうなんでしょう? それだけではないと信じたい」という意味深なセリフを吐く。涼太の真意はともかく、実際に子どもは、あくまで原則的にだが、「離婚ストッパー」となりうる。女は母になれば、関心矢印の大部分が夫から子どもにシフトするため、夫に対する気変わりが家庭崩壊の致命傷にはならないからだ。一方の男は、仮に妻が豹変したとしても、「妻子を養っている自分」というステータスで自尊心を満たせる。これも離婚の歯止めとなりうる。
「子はかすがい」が、あまりにも前時代的すぎる考えかたであるのは百も承知。しかし子どもの存在が「タイミング」と「ステータス」の隙間を埋める補填材になっていることに、一定の妥当性はあろう。なお、美都の浮気を疑いだした涼太が美都に子作りを提案した際の彼女の返答は、「ずっといらない。子どもなんていりません私」だった。
余談だが、数年前に実家へ帰省した歳、齢60を過ぎた母とふたりで喫茶店に入った。その際、母が父と出会った頃の話を唐突にしゃべりだしたのだが、イマイチ大恋愛だった感が伝わって来ない。そこで、父と結婚した理由を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「タイミングだね」
母にとっての父がユニクロのフリースだったのか、エルメスのコートだったのかは知る由もない。が、少なくともここ4~50年、この国の「夫婦」のかたちは、ほとんど何も変わっていないようだ。次回帰省時には、父に同じ質問を投げてみたい。
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキー マンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地 団 ~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・ 著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。映画、藤子・F・不二雄、90年代文化、女子論が得意。http://inadatoyoshi.com